アーマド・エルリッチ(Ahmad Elrich, 1981年5月30日- )は、オーストラリア・シドニー出身の元同国代表の元サッカー選手。
Kリーグ時代の登録名はエルリッチ(ハングル: 엘리치)[1]。
経歴
家のすぐ西にある、地元のパラマッタ・イーグルス(現パラマッタFC(英語版))でキャリア始め、当時は建設現場で大工として働きながらプレーをしていた[2]。
イーグルスでの最初のシーズン終了後に自身のルーツであるレバノンへ渡たった際にベイルートのネジュメSC(英語版)からオファーがあったが、それを断りオーストラリアに戻り、NSLのパラマッタ・パワー(英語版)と契約を交わした[2]。加入後すぐにWGとしてレギュラーの座を掴むと、リーグでも有数のアシスト選手の1人として活躍し、2003-04シーズンの決勝で22アシスト目を記録。チームは優勝を逃したものの、その活躍からジョー・マーストン・メダル(英語版)を受賞した。クラブと良好な関係が続くと思われたが、チームは財政難により解散、さらにNSLが終息することもあり国外でプレーする機会を探すこととなり、韓国の釜山アイパークと契約。しかし、契約上のいざこざから5ヶ月間プレー出来ない状態が続いたため、イングランドへプレーする場を移すことになった[3][4]。この際、フラムFCの打診に釜山が応じなかったためにチームを無断離脱、さらにFIFAへの提訴も辞さない姿勢をとった[5]。
フラム
2005年夏、フラムと3年契約を締結。2006年4月から5月までの期間、FCリン・オスロへ貸し出された[4]。
フラムでは、リヴァプールFC戦でリーグデビューをしたが、膝の怪我もあり[6]トップチームでの出場機会は少なく、2007-08シーズンになると背番号を与えられず、2007年9月4日に退団した[7]。
オーストラリア復帰
2007年9月21日、Aリーグに参戦するニュージーランドのウェリントン・フェニックスFCにマーキープレーヤー(サラリーキャップ制限を受けない選手)として加入[8]。10月21日、最初のホームゲームとなるセントラルコースト・マリナーズ戦で初ゴールを記録し、エルリッチは自身のキャリアの中でベストゴールと語った。2007-08シーズンが終わると、古巣のパラマッタ・パワーから関心を寄せられたが、セントラルコースト・マリナーズに移籍。しかし、出場は限られたものとなり、2009-10シーズン終了に伴い放出された[9]。
代表
U-23時代にアテネオリンピックに出場。2006 FIFAワールドカップは、フラムで出場機会が少なかったために落選した。2006年9月6日、AFCアジアカップ2007 (予選)のクウェート戦でキャリアに影響するほどの深刻な膝の怪我を負った。
プライベート
レバノン人の家系に生まれ[2]、弟のタレク・エルリッチもサッカー選手[10][11]。
エピソード
2011年5月25日、銃と麻薬所持の容疑で逮捕された[12][13]。怪我の連続で既に遠のいていた復帰の機会は、これでさらに遠のいた。
所属クラブ
- → FCリン・オスロ (loan) 2006
タイトル
- 代表
OFCネイションズカップ : 2004
- 個人
ジョー・マーストン・メダル(英語版) : 2003-2004
脚注
外部リンク