「アーク・ロイヤル」
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艦歴
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発注
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起工
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1913年11月7日
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進水
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1914年9月5日
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就役
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1914年12月
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退役
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1944年2月
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その後
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1946年に売却、民間船に転換後 1949年6月にスクラップとして廃棄
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除籍
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性能諸元
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排水量
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満載 7,450トン
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全長
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366 ft (112 m)
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全幅
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50.8 ft (15.5 m)
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吃水
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18 ft (5.5 m)
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機関
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3段膨張式ボイラー2基、1軸推進、3000 shp (2.2 MW)
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最大速
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11ノット (20 km/h)
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乗員
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180名
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兵装
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12ポンド砲4門 マキシム機銃2基
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搭載機
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水上機5機、航空機2機
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アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal) は、イギリス海軍で航空母艦として完成した最初の艦[1]。1934年にペガサス (HMS Pegasus) と改名された。
イギリス海軍は防護巡洋艦から水上機母艦に改装された「ハーミーズ (HMS Hermes)」を運用していたが、航空機運用のための別の艦が必要であった。1913年[2]にブライス・シップビルディング社で建造中であった貨物船を81,000ポンドで購入し、この7,000トンの船を水上機母艦を完成させ、「アーク・ロイヤル」と命名した。「アーク・ロイヤル」より先に就役した「エンガディン」や「ハーミーズ」といった艦は、他の艦種から改装された艦であり、航空機を運用するための艦として完成したのは「アーク・ロイヤル」が初めてであった。
設計
水上機母艦に改装するために大きな設計変更が行われ、推進機関は後方に移動し、艦の前方半分を作業デッキが占めた。
甲板は前方に平坦部を作り、艦上から水上機の発艦も意図されていたが、実現されなかった[3]。艦は長さ150ft、幅45ft、高さ15ftの巨大な航空機ホールドを作業スペースの横に装備した。3トン蒸気クレーン2基が甲板に装備され、水上機を引き揚げ回収することができた。
「アーク・ロイヤル」は水上機5機および通常の航空機2機を運ぶことができた。航空機は発艦後は地上基地へ着陸しなければならなかったが、水上機は艦の側に着水後、クレーンで回収することで再び運用できた。
搭載機は、ソッピース807型水上機2機、ライト・プッシャーズ2機、ショート135型機1機およびソッピース・タブロイド2機であった。
艦歴
「アーク・ロイヤル」はブライス・シップビルディング社で1914年12月に就役、1915年2月1日にダーダネルス海峡へ向けて出航し、連合軍の上陸部隊を5月まで支援した。その後休戦まで地中海東部で活動した。1918年1月に搭載機のソッピース・ベイビー2機がオスマン帝国の巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」への爆撃を試みた。
戦後「アーク・ロイヤル」は黒海で活動し、ロシア内戦で白軍支援のためバトゥミへ航空機を運搬した。さらに、ソマリアにおけるムハンマド・アブドラ・ハッサン率いる民族主義者との戦いにおいて、陸軍を支援した。1920年には白軍のクリミア半島からの撤退を支援した。その後、「アーク・ロイヤル」は帰国し修理のためロスサイスで予備役となる。
1922年9月に「アーク・ロイヤル」は、チャナク危機において地中海へ航空機を運搬するため再就役した。1923年4月にはマルタで別の修理が行われた。1934年12月、「アーク・ロイヤル」はその名を新型空母に譲るため、「ペガサス」と改名された。
「ペガサス」は第二次世界大戦中の1940年に戦闘機カタパルト艦へ転換されたが、活躍の場面はごく僅かなものであった。
1946年には売却され、「アニタ1世 (Anita I)」の船名で民間船への改修が始められた。しかし改装工事は中止され、1950年にスクラップとして解体された。
参考文献
- 海人社 世界の艦船 2005年10月号増刊 No.649「イギリス航空母艦史」p16~17
脚注
- ^ “Ark Royal 1914”. Battleships-Cruisers. 2006年10月13日閲覧。
- ^ “HMS Ark Royal”. Royal Navy website. 2006年10月13日閲覧。
- ^ A Century of Naval Construction, The History of the Royal Corps of Naval Constructors. Conway Maritime Press. pp. 114. ISBN 0-85177-282-X
外部リンク
関連項目