SHOW-YA(ショーヤ)は、日本のハードロックバンド。1985年に東芝EMIからメジャー・デビュー。1980年代からのバンドブーム、特に女性だけのバンドとして先駆け的存在。それを牽引してきたバンドの一つ[1][2]。
ボーカル・寺田とキーボード・中村の所属したバンド「メデューサ」が前身。のちにバンド名を「SHOW-YA」に変更。1982年、ヤマハ主催のバンドコンテスト・レディース部門で最優秀グランプリに輝く[3]。当時、寺田だけが大手プロダクションやレコード会社からソロデビューの話が持ちかけられたことがあったが、寺田は「ソロは嫌。みんなでデビューしたい」と拒否。バンドでデビューする流れになったが[4]、その後6人のメンバーの内、寺田と中村を除く4人が音楽以外の道に進むため脱退。その後、メンバー募集により角田、仙波、五十嵐の順に加入する。
1985年8月、『素敵にダンシング(Coke Is It)』でメジャー・デビュー。当時は女性だけのロックバンドは珍しくて一般になじみが薄く、ミニスカートを着させられたり髪を刈り上げられたりと、アイドルバンド路線で売り出されることになり[2]、ストレートの長い髪を切られ、泣いていたメンバーもいた[5]。メジャー・デビュー時はデビュー曲にコカ・コーラのタイアップが付き、ヘアメイクやスタイリストも世界で活躍する著名人、衣装デザインはコシノジュンコと大きなプロジェクトが組まれていた[5]。
1980年代後半、ハードロック路線に戻り自分たちの音楽を追求していたが[2]、セールスは伸び悩んでいた。それまで主に作詞を担当していた寺田はそれが自分のせいだと思い、7枚目のアルバム『Outerlimits』(1989年)制作時、作詞家の安藤芳彦に作詞を依頼。その際、寺田は自分の日記を安藤に渡し、それを基に詞を書いて欲しいと依頼。更に同作から笹路正徳が音楽プロデューサーとして参加。その結果、アルバムは60万枚超のセールスを記録[3]。
30万枚を突破した8thシングル『限界LOVERS』[3]、9thシングル『私は嵐』のヒットも相まって、SHOW-YAのライブ本数やテレビ出演回数は激増。
1987年から企画・主催を始めた女性ミュージシャンのみを集めた野外イベント「NAONのYAON」で女性ミュージシャンの認知度を上げることに貢献する。
1990年9月、10thシングル『ギャンブリング』、10月、8thアルバム『HARD WAY』リリース。11月末にラジオ番組内で五十嵐と中村が『寺田の年内活動休止及び音楽の方向性の違いにより翌年1月から開始されるHARD WAY TOUR1991を以て寺田脱退』を発表。本格的な海外進出目前であり、人気実力共に絶頂時の悲報はファンに衝撃を与えた。
1991年、1月7日の日本武道館より『HARD WAY TOUR1991』開始。2月2日名古屋市公会堂公演を以て寺田脱退。ボーカリストを失ったバンドは活動休止状態に陥る。6月、2ndベスト・アルバム『SHOW-YA GREATEST1985-1990』リリース。
1992年、残ったメンバーは新ボーカルにステファニー・レイコ・ボージャスを迎え活動を続けるが、1993年頃から活動が凍結状態になり、1997年にボーカルがYOSHINOに代わったものの、1998年9月に解散[3]。
2005年、寺田がバラバラになったメンバーの許を訪れ一人一人に頭を下げ、5年かけてメンバーを説得、再結成[1]。以降は数々のライブ活動、寺田はNHK-FMの「私の名盤コレクション」のラジオパーソナリティを務めるなど、精力的に活動を続けて今に至る。
2021年、世界進出の第一弾となるアルバム『SHOWDOWN』をリリース(8月30日に日本先行、11月12日に世界発売)。
バンド名の由来は、居酒屋チェーンの庄や。前身の『メデューサ』時代、ことごとく音楽コンテストに落選していた寺田と中村は「バンド名が悪い」ということで意見が一致、その時、飲んでいた庄やから名前を取ることにした。英語にすると『SHOW-YA』で「Show Ya」("Ya"はYou"の口語表現で「ショーをあなたに」「あなたに魅せる」)になるということで決定した[6]。その縁もあり、再結成後の2014年に庄や目黒408店で寺田が一日女将を務めるコラボ企画も行われた[7]。
現メンバーがそろった当初、なかなかデビューのきっかけを掴めずにいた頃、よく相談に乗ってもらった島村楽器の関係者が同社社長に掛け合い、社内に「音響事業部」という音楽プロダクション部門を新規に立ち上げ、バンドで所属したこと[5][4]、千葉県市川市内の島村楽器寮に5人全員で同居したことがあった[4]。この最初の事務所も同社の倉庫内だった[5]。ライブ出演を重ねるうち徐々に大手プロダクションが関わるようになり、メジャー・デビューのきっかけをつかむ経緯になる[5]。
寺田、五十嵐は、渡辺敦子、富田京子、SIMBA SALOONの力石理江と女性5人組バンド「全日本女子プロバンド(通称:全女バンド)」を結成。五十嵐は2000年に脱退。
中村・仙波は、元杏子らと女性バンド「ミレニアム・イブ」でも活動した。
プリンセス プリンセスとの関係は、SHOW-YAのハード系と比べられ、仲が悪いと噂されたこともあったが、メンバーとの関係は良好で、互いのメンバー同士で東京ディズニーランドなどへ遊びに行くこともあった[8]。寺田は「(仲が悪いなどという噂は)メディアが勝手に言っていただけ。むしろお互いの対抗意識は全く無かった」と述懐[9]。
女性ミュージシャンのみによるロック・フェスティバル「NAONのYAON」はSHOW-YAが中心となって企画されたイベント。プリンセス プリンセスやMINAKO With WILD CATSとしての本田美奈子.も出演した事がある。
第一期SHOW-YAのファンは大半が女性であった。『ライヴバンドSHOW-YAの良さがスタジオ・アルバムに反映されないのが課題』と言われていた。
1989年発売のパソコンゲームソフト『BURAI上巻』に音楽提供。
寺田脱退後、TBS『ギミア・ぶれいく』の企画で北朝鮮に渡りライブを行ったことがある。その際はゲストボーカルとして喜屋武マリーが参加した。
1.素敵にダンシング (Coke Is It) - 2.しどけなくエモーション - 3.ONE WAY HEART - 4.その後で殺したい - 5.水の中の逃亡者 - 6.孤独の迷路 - 7.愛さずにいられない -Still be hangin' on- - 8.限界LOVERS - 9.私は嵐 - 10.叫び - 11.ギャンブリング - 12.天使の炎-Flame Of The Angels- - 13.V.S. MYSELF
1.MASQUERADE SHOW - 2.QUEENDOM - 3.WAYS - 4.TRADE LAST - 5.IMMIGRATION - 6.Glamour - 7.Outerlimits - 8.HARD WAY - mini1.Touch The Sun - mini2.This my way - 9.GENUINE DIAMOND - 10. PROGRESS - 11. AURORA - 12. SHOWDOWN
1.TURN OVER - 2.HARD WAY TOUR 1991
1.NEW BEST NOW - 2.NEW BEST NOW 70 - 3.WHITE - 4.SHOW-YA GREATEST - 5.COMPLETE BEST "BACK FIRE" - 6.TWIN BEST - 7.SHOW-YA GOLDEN★BEST - 8.SHOW-YA THE BEST SOUND & VISION-20th Anniversary- - 9.SHOW-YA THE BEST-20th Anniversary-
1.Glamorous Show〜Japanese Legendary Rock Covers
1.叫び (クリップ集) - 2.DATE LINE - 3.ROLLIN' WORLD - 4.1990BUDOKAN-REACH FOR THE WORLD- - 5.DISTANCE -ON THEIR WAY- 1990 IN L.A. - 6.HARD WAY TOUR 1991 - 7.SHOW-YA大復活祭 〜20th Anniversary〜 - 8.SHOW-YA LIVE 2006 別格 - 9.HARDEST ROCK - 10.歴代シングル全曲披露!暴れ倒しGIG!
東芝EMI - MASTERWORKS - USM JAPAN - ドリーミュージック - 寺田恵子のオールナイトニッポン - NAONのYAON - 西寺実
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