SDエイバル(スペイン語: Sociedad Deportiva Eibar, バスク語: Eibar Kirol Elkartea)は、バスク州ギプスコア県エイバルを本拠地とするスペインのサッカークラブ。2023-24シーズンはセグンダ・ディビシオン所属。
1940年11月30日創設。クラレット(ワイン色/濃赤紫色)と青色のシャツ、青色のパンツを着用する。8,164人収容のエスタディオ・ムニシパル・デ・イプルーアをホームスタジアムとしている。SDウエスカがプリメーラ・ディビシオンに昇格するまでは、プリメーラ最小規模のクラブだった[2][3]。
また、エイバルはサッカークラブでは唯一、UNE-EN-ISO 9001 (品質管理システム) を持つクラブでもある[4]。
歴史
1940年11月30日、デポルティーボ・ガジョとウニオン・デポルティーバ・エイバレーサが合併し、エイバルFC(Eibar Fútbol Club)が創設された。その後名称がSDエイバル(Sociedad Deportiva Eibar)に変更された。1943-44シーズンにフルタイムのサッカークラブとして再編成された。1950年にリーガ・エスパニョーラ(全国選手権)のテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)に昇格し、3シーズン後の1953年にセグンダ・ディビシオン(2部)に昇格した。5シーズン後にテルセーラ・ディビシオンに降格すると、その後の28シーズンのうち25シーズンをテルセーラ・ディビシオンで過ごした。1977年にはセグンダ・ディビシオンB(現3部相当)が創設された。1988年、再びセグンダ・ディビシオンに昇格した。
2005-06シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンBに降格したが、すぐにセグンダ・ディビシオンBで優勝し、昇格プレーオフではCEルスピタレートやラージョ・バジェカーノに勝利して1シーズンでのセグンダ・ディビシオン返り咲きを決めた。2012-13シーズンのコパ・デル・レイ・ラウンド32では同じバスク州に本拠地を置くアスレティック・ビルバオと対戦し、ホームでは0-0、エスタディオ・サン・マメスで1-1と引き分け、アウェーゴール差で勝ち上がりを決めた。貴重な得点を決めたのはアスレティックの下部組織出身のミケル・アルアバレーナであり、指揮を執っていたのはガイスカ・ガリターノ監督である[5]。同シーズンのリーグ戦ではセグンダ・ディビシオンBのグループ2を2位で終え、昇格プレーオフではCDアルコジャーノ、レアル・オビエド、ルスピタレートを破ってセグンダ・ディビシオン昇格を決めた。
そして2013-14シーズンはセグンダ・ディビシオンで優勝し、クラブ史上初のプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた[6]。
2014-15シーズンは18位に終わり降格であったが、13位のエルチェCFに税金未払いや経営透明性の問題があるとして、スペインプロサッカー機構がセグンダ降格を命じたことでエイバルのプリメーラ残留が決定した[7]。
2015-16シーズンには乾貴士が加入し、2017-18シーズンまで所属(2019-20シーズンに復帰)。同シーズンはラ・リーガ昇格後最高位の9位で終えた。
以降、粘り強い闘いでラ・リーガの座を死守。しかし、2020-21シーズンは2021年に入ってから未勝利の状態が続き、5月16日のバレンシアCF戦に1-4で敗れ、セグンダ降格が決定した[8]。
2024年8月29日、チーム史上3人目の日本人選手となる、橋本拳人の加入が発表された[9]。
タイトル
- 2013-14
- 1987–88, 2006–07, 2010–11
- 1950–51, 1952–53, 1961–62, 1962–63, 1966–67, 1981–82, 1985–86
過去の成績
シーズン
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ディビジョン
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順位
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コパ・デル・レイ
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1940–41
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バスク州1部
|
5位
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1941–42
|
バスク州1部
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7位
|
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1942–43
|
バスク州2部
|
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1943–44
|
バスク州2部
|
|
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1944–45
|
バスク州2部
|
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1945–46
|
バスク州1部
|
9位
|
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1946–47
|
バスク州2部
|
1位
|
|
1947–48
|
バスク州1部
|
5位
|
|
1948–49
|
バスク州1部
|
2位
|
|
1949-50
|
バスク州1部
|
1位
|
|
1950-51
|
テルセーラ
|
1位
|
|
1951-52
|
テルセーラ
|
2位
|
|
1952-53
|
テルセーラ
|
1位
|
|
1953–54
|
セグンダ
|
7位
|
|
1954–55
|
セグンダ
|
8位
|
|
1955–56
|
セグンダ
|
14位
|
|
1956–57
|
セグンダ
|
10位
|
|
1957–58
|
セグンダ
|
17位
|
|
1958-59
|
テルセーラ
|
2位
|
|
1959-60
|
テルセーラ
|
7位
|
|
|
|
シーズン
|
ディビジョン
|
順位
|
コパ・デル・レイ
|
1980-81
|
テルセーラ
|
3位
|
2回戦敗退
|
1981-82
|
テルセーラ
|
1位
|
2回戦敗退
|
1982-83
|
テルセーラ
|
2位
|
3回戦敗退
|
1983-84
|
テルセーラ
|
2位
|
3回戦敗退
|
1984-85
|
テルセーラ
|
2位
|
2回戦敗退
|
1985-86
|
テルセーラ
|
1位
|
3回戦敗退
|
1986–87
|
セグンダB
|
7位
|
ベスト16
|
1987–88
|
セグンダB
|
1位
|
3回戦敗退
|
1988–89
|
セグンダ
|
16位
|
2回戦敗退
|
1989–90
|
セグンダ
|
16位
|
1回戦敗退
|
1990–91
|
セグンダ
|
10位
|
3回戦敗退
|
1991–92
|
セグンダ
|
12位
|
4回戦敗退
|
1992–93
|
セグンダ
|
16位
|
3回戦敗退
|
1993–94
|
セグンダ
|
10位
|
1回戦敗退
|
1994–95
|
セグンダ
|
5位
|
3回戦敗退
|
1995–96
|
セグンダ
|
12位
|
2回戦敗退
|
1996–97
|
セグンダ
|
5位
|
2回戦敗退
|
1997–98
|
セグンダ
|
10位
|
2回戦敗退
|
1998–99
|
セグンダ
|
18位
|
1回戦敗退
|
1999–00
|
セグンダ
|
11位
|
2回戦敗退
|
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現所属メンバー
- 2024年2月1日現在[10]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
- 監督
歴代監督
歴代所属選手
GK
DF
MF
FW
脚注
外部リンク