Mk 2 16インチ砲 (16"/50 caliber Mark 2)は、アメリカ海軍 で開発されていた艦砲 。
第一次世界大戦 中に開始されたダニエルズ・プラン において建造予定のサウスダコタ級戦艦 及びレキシントン級巡洋戦艦 において搭載が予定されていた砲である。ワシントン海軍軍縮条約 により、サウスダコダ級は建造中止、レキシントン級も巡洋戦艦 としては完成しなかったため、艦砲としては実用化がなされなかった。
歴史
サウスダコタ級戦艦の模型
アメリカ海軍が、16インチ砲の開発に乗り出したのは1895年のことであり[ 1] 、最初のモデルは1902年に完成した[ 2] 。
2番目のモデルであるMk 2 16インチ砲は、それまでアメリカ海軍の戦艦 で用いられてきた50口径14インチ砲を凌ぐ威力を有するものとして開発され、サウスダコタ級戦艦(3連装4基12門)及びレキシントン級巡洋戦艦(連装4基8門)に搭載することが計画された。
1922年のワシントン海軍軍縮条約では、戦艦の排水量に3万5,000トンの制限が設けられたことにより、起工はしていたものの、未成かつ排水量制限を超えた両艦級は、1922年にサウスダコタ級は全艦建造中止[ 3] 、レキシントン級は2隻が航空母艦へと計画変更 となり、他は1923年に建造中止となっている。レキシントン級は、砲床 も完成しておらず、完成していた砲身 は陸軍 へと引き渡され、M1919 (英語版 ) 16インチ 沿岸砲 として沿岸防御施設に配備された。
1938年に第二次ロンドン海軍軍縮条約 のエスカレータ条項が発動し、戦艦の排水量制限が4万5,000トンに緩和されると、アメリカ海軍はアイオワ級戦艦 の建造に乗り出した。武器局(Bureau of Ordnance)はMk 2 16インチ砲の搭載を検討したが、建造・造修局(Bureau of Construction and Repair)はより軽量の砲を望み、最終的にアイオワ級には、新型のMk 7 16インチ砲 (英語版 ) が搭載されることとなった。Mk 2 16インチ砲が艦砲として艦船に搭載されることは無かった。
Mk 2 16インチ砲は、口径が16インチ(406mm)有り、砲身長も50口径(20m 67ft)と長砲身であった。最大発射薬量は294㎏(648lb)に達し、重量1,020 kg(2,240lb)の徹甲弾を砲口速度810 m/s(2,650ft/s)で打ち出し、最大射程は40,860 m(44,680yds)であった。[ 1]
脚注
外部リンク