初作と続編の間の期間がかなり空いているが、初作の『So Far From The Bamboo Grove 』の後、兄・姉や父がどうなったか知りたいとの読者の便りが続々と届いたものの、苦しい思い出であり、本人はもともと続編を書くつもりはなかったという。しかし、一人の少年からの手紙をきっかけに続きを書くことにしたとされる[1]。この作品で、父と兄は初作出版前に既に日本で亡くなっていたこと、姉は作者とは別にアメリカに来て、アメリカで結婚、アルツハイマーとなった夫を世話していることが述べられている[1]。
姉が退院後は、きょうだいは橋の下で野宿を始める。しかし、周辺は浮浪者であふれ、睡眠不足と疲労がたまる。姉が右膝の状態が悪化して高熱を出し、急遽手術を受けるが、生涯膝を曲げられないと医師に宣告をうける。そんなとき、病院で仲良くなったミナト夫妻の好意で、夫妻宅のひと部屋を借りることになる。そのさなかシベリアに抑留中の父から母宛に青森へ手紙が届く。京都の住所に転送してもらうが、内容が事前閲覧されて墨で黒く塗りつぶされており、かろうじて「そう長くならない内に帰るだろう」という文字だけ解読できた。1948年12月、擁子は、政府が全額出資する京都大学内にできた試験的な英語強化プログラム、「ENGLISH VILLAGE POGRAM」へ奨学金を受け受講する。京都近辺から35人が選ばれた、1949年2月、嵯峨野女学校を卒業、「English VillageE Program」も1950年春には修了する。そして1950年の秋、引揚げた父とついに再会を果たす。
登場人物
川嶋擁子 (かわしま ようこ)
主人公で作者。14歳の少女。戦時中、現在の北朝鮮の咸鏡北道にある羅南で育ったため、兄妹3人とも朝鮮語が堪能である。国から奨学金を受けて京都大学のEnglish Village Programを修了後、父と青森へ戻り、1952年から1954年まで、三沢基地で通訳として勤務。米兵の若者、ドナルド・ワトキンス (Donald Watkins) と結婚後渡米。5人の子供がいる。
^Lee, Sung-Ae (2008), “Remembering or Misremembering? Historicity and the Case of So Far from the Bamboo Grove”, Children’s Literature in Education39: 87(吉田純子の論文で引用[4]。)