MGM-18 ラクロス (英 : Lacrosse )は、地上部隊の近接支援を目的とする短距離戦術弾道ミサイル である。まだ開発段階にあるにもかかわらず、ラクロスの最初の飛行試験は1954年 に実施され、1959年 からアメリカ陸軍 に配備が開始された。ラクロス・プログラムにおける多くの技術的なハードルは克服するのがあまりにも難しいと判明したため、1964年 までに退役した。
ラクロスは最初のアメリカ海軍 での計画では、制式名SSM-N-9 を割り当てられた。アメリカ陸軍へ移される際にSSM-G-12 に変更され、陸軍の命名規則の若干の変更の後、SSM-A-12 に変更された。陸軍に採用されたとき、ラクロスはM4 と呼ばれ、退役するほんの数ヶ月前に、1962年 に新たに制定された命名規則 に従い制式名MGM-18を与えられた。
開発
ラクロス計画は、従来の野戦砲 を補うための短距離誘導ミサイルに関するアメリカ海兵隊 の要求から始まった。この任務に関連する設計面の研究のために、アメリカ海軍兵站局 (Navy Bureau of Ordnance) は1947年 9月 にジョンズ・ホプキンス大学 (JHU) の応用物理研究所 (Applied Physics Laboratory, APL) とコーネル航空研究所に契約を与えた。
アメリカ統合参謀本部 は、1949年 後半に誘導ミサイルの開発と用途に関し、すべての地対空ミサイル と地対地ミサイル 兵器の責任をアメリカ合衆国陸軍省 に与える新しい方針を定めた。ラクロス計画は後者の地対地ミサイルに該当したため、国防長官 は方針に従い、計画を1950年 8月31日 に海軍からアメリカ陸軍武器科 へ移した。折しも朝鮮戦争 の開戦と重なったため、アメリカ陸軍はこの1ヵ月前から計画を前倒しして開始していた。ラクロスの研究開発計画は、陸軍省プライオリティーIBを割り当てられ、1952年 までこのプライオリティーの下で進行し、1952年 7月31日 にプライオリティーIAが割り当てられた。コーネル研究所とジョンズ・ホプキンス大学は計画を再開し、前者は誘導装置設計に関する主要な責任を負っていた。コーネルは、陸軍武器科から1951年 2月 にラクロスの正式な開発契約を与えられた。
市松模様に塗り分けられたラクロス
1953年 1月 、ラクロスの開発は、システムの主要な要素が定められるところまで進行し、固体燃料ロケット・モーターを使用することが初めて規定された。コーネルは1954年 前半から戦術モデルのラクロス I システムの研究を開始し、共同契約者の名前が挙げられる頃には戦術モデルの設計を完了してシステムの実現可能性を示した。1954年 8月17日 から1955年 12月13日 の間に、ラクロスの最初の全規模試験が実施され、ホワイトサンズ・ミサイル実験場 で15基のAグループ飛行試験が実施された。この間の1954年 1月11日 にラクロス計画の技術管理監督は、レッドストーン兵器廠 に委任されていた。
1955年 1月 にグレン・L・マーティン・カンパニー がラクロスの研究開発共同契約者として承認され、同年4月1日 に研究開発と生産に参加する契約を与えられた。更にマーティンは、6月1日 にラクロスの最初の生産契約を受注した。同年からマーティンへの技術的責任が移行され始め、1958年 3月19日 に完了した。コーネル研究所が最初の要求を越えて、特に、資金提供が中止された空中制御の領域でミサイルの能力を拡大する研究へ1959年 に移行したため、マーティンは計画に対する多くの責務を引き継ぐことになる。
試験は1954年 から始まり、生産型の試作は1956年 6月 から利用できた。計画が遭遇した困難は、設計及び試験期間が長引いたことでもわかるとおり、ミサイルは1959年 7月 まで運用を開始できなかった。問題は信頼性に対する懸念と誘導における、特に指令誘導信号がECM妨害に対して影響を受けやすいという難点を含んでいた。1956年 3月 に連邦電気通信研究所 (Federal Telecommunications Laboratory) はマーティンとの下請契約の下で後にMOD 1と呼ばれることになる異なる誘導装置の研究を開始した。新型の誘導装置はラクロスの電子対抗策に対する性能を向上させたが、MOD 1の開発は1959年 8月18日 に中止され、アメリカ海兵隊が計画への参加を取り下げる要因になった。
ラクロスの軍用性能は、1956年 1月19日 に承認、公表されたが、1956年 3月29日 から1956年 9月21日 の間にホワイトサンズ・ミサイル実験場で実施された6基のグループB飛行試験の後、1957年 6月13日 に軍用性能が修正されて再度発表された。なお、ラクロスの弾頭は、核弾頭、破片効果弾頭、成形炸薬弾の順の優先度で開発されることになっていた。
評価試験がホワイトサンズ・ミサイル実験場で1958年 3月19日 に始まった。この試験はマーティン単独の責任に基づくラクロス開発計画の最後段階であり、ミサイルは最終的な戦術モデル用構成のものが使用された。しかし、これらの試験でミサイル構成要素の信頼性が維持されなかったことが判明してしまった。更に1958年 11月28日 のサービス・テストでもシステムの信頼性不足は改善せず試験は中止、再試験のためにラクロスの製造も停止された。1959年 1月19日 に試験期間の確保のためにスケジュールの見直しが行われ、部隊配備は1959年 4月 から7月 に遅らされた。ラクロス・システムが開発と改良を必要とし続けるものの、変更されたスケジュールに間に合わせて1959年 7月 に最初の部隊はラクロスを受領することができた。
運用
MGM-18A ラクロス
ラクロスを最初に装備した部隊は、オクラホマ州 フォート・シルで編成された第41砲兵連隊第5大隊であった。1960年 3月 にはヨーロッパに最初のラクロス大隊が配備され、同年4月 には韓国 に配備された。ラクロスを装備した全部で8個の大隊は、韓国の1個大隊と戦略陸軍部隊の1個大隊を除き、ほとんどがヨーロッパ に配備された。
配備されたラクロス・システムは、基本的には許容できる信頼性を持っていたが、完璧にはほど遠く、全面的には信頼できなかったため、配備が始まってからわずか3年半後の1964年 2月 に退役した。
仕様
MGM-18A
出典:Designation-Systems.Net[ 1]
全長: 5.85 m (19 ft 2 in)
翼幅: 2.74 m (9 ft)
動翼幅: 1.43 m (4 ft 8.4 in)
直径: 0.52 m (20.5 in)
発射重量: 1,040 kg (2,360 lb)
機関: チオコール XM10 / XM10E1 固形燃料ロケット・モーター
速度: M 0.8
射程: 19 km (12 mi)
誘導装置: 無線指令誘導
弾頭
T-34 成形爆薬弾頭 245 kg (540 lb)
W40 核分裂弾頭(核出力 :1.7 kt, 10 kt)
脚注
^ Parsch, Andreas (2002年1月26日). “MGM-18 ” (英語). Directory of U.S. Military Rockets and Missiles . Designation-Systems.Net. 2007年7月27日 閲覧。
“LACROSSE ” (英語). Redstone Arsenal History Information . レッドストーン兵器廠. 2007年9月27日 閲覧。
関連項目
外部リンク