L⇔R (エルアール)は、日本 の音楽 バンド 。
1991年ポリスター からデビュー。その後1994年ポニーキャニオン へ移籍。通算で13枚のシングル、7枚のアルバムを発表するが、1997年 に活動休止。その後メンバーは個々にソロで活動するが、後述の黒沢健一 の死去に伴い、現在は事実上解散。全ての作品において四人囃子 のドラムスだった岡井大二 がプロデュースを手がけた。
メンバー
元メンバー
1992年 正式加入~1994年 1月15日 脱退。
略歴
黒沢健一が地元の友人と組んでいたバンド「ラギーズ」に、辞めたギタリストの後任として黒沢秀樹が参加。バンド解散後は、二人でデモテープ作りに勤しむ。[ 1]
1988年 黒沢健一が、島田奈美 のアルバム『Curiosity』収録の『He Loves Her』で作曲家デビュー。
1990年 木下裕晴の呼びかけにより黒沢健一、黒沢秀樹の兄弟との3人でL⇔Rを結成する。[ 2]
1992年 ファーストアルバムをレコーディング中、コーラス で参加した嶺川貴子が正式加入。
1993年 4月 ファンクラブ「SCRUFFS」発足
1993年 10月 第一回服部良一 音楽賞を受賞。黒沢秀樹は後に出演した音楽番組『FUN 』にてこの時に得た賞金で初めて自分用の楽器を購入したと語っている。
1994年 1月 レコード会社移籍と同時に嶺川貴子が脱退。
1995年 5月 シングル「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」がフジテレビ 系ドラマ 『僕らに愛を! 』の主題歌に起用され、オリコン 1位を獲得。10月 シングル「BYE」がオリコン 6位を獲得。
1996年 初の武道館公演。6月 12cmシングル「NICE TO MEET YOU/I WISH」をリリース。
1997年 に活動休止を宣言。以後、メンバーそれぞれがソロ活動をしている(ソロ活動については各メンバーの項目を参照)。
2002年 にもベストアルバム発売。ポニーキャニオン版のタイトルが『Last Roll』であった(なおメンバーはこのアルバムに関わっていない)が、これまでメンバー自身の口から明確に解散宣言はなく、黒沢健一の公式サイトでも「現在も活動休止のまま活動は行われていない」と明記してある。
2011年 、これまでリリースされたバンドとしての全楽曲、製作されたPVが、iTunes で配信される。
2013年 5月30日 テレビ番組『1番ソングSHOW 』に黒沢健一と秀樹が出演。これまでハッキリと語られてこなかった活動休止の理由にも触れ、健一が『Doubt 』のレコーディング中、スタジオから逃げ出すなど精神的にギリギリの状態だったということが明かされた。
2016年 10月3日、黒沢健一が自身の公式サイト上で、脳腫瘍 の治療中であることを公表。
2016年 11月25日、「L⇔R 25周年プロジェクト」開始を発表。再始動の話も出ていたとの事。[ 3]
2016年 12月5日、黒沢健一が脳腫瘍 により死去(享年48)[ 4] 。
2017年 1月18日、DVD『L⇔R LIVE at Budokan "Let Me Roll It! Tour 1996"』発売。
2017年 2月8日、「L」から「Doubt」までのオリジナルアルバムがUHQCD仕様によるリマスタリングで発売。
2017年 3月15日、DVD『PV+』発売。
活動休止後の主な共演
2003年 、黒沢健一と木下裕晴を中心にcurve509 結成。
2007年 、黒沢健一ソロツアー「LIVE without electricity」に黒沢秀樹が参加。
2007年、黒沢秀樹プロデュースのアルバム「SUNNY ROCK!Sunshine Days of 70’s tribute album」に黒沢健一が参加。
2008年 、デコレ村オールスターズで黒沢健一と黒沢秀樹が共演。デコレ村オールスターズ名義のミニアルバム「太陽に歌って」(UICZ-4197)にハンキー・パンキーとして参加。[ 5]
2009年 4月 、黒沢兄弟によるユニット「ハンキー・パンキー」がミニアルバム「In touch with Hanky Panky」(UICZ-4197)をリリース。
2013年、黒沢健一のアルバム「Banding Together in Dreams」に、黒沢秀樹、木下裕晴、嶺川貴子が参加。
グループ名の由来
メンバーとプロデューサーの間で、記号っぽい物が良いという発想から産まれた物という説や、その会話をしていたスタジオでミキシング・コンソール を見て、オーディオの左右のチャンネルを表す「L」と「R」が目に入ったからと言う説、自分たちの幅広い音楽性を表すためと言う説、結成当時の黒沢兄弟の髪の分け目が左と右だったからと言う説(『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP 』出演時に本人たちが語った説。その際松本人志 に「ハゲたら『⇔』だけになる」とイジられた)など、諸説あるため、どれが正しいかははっきりしていなかった。ラジオ放送中にも「正式にはLefty in the Right[ 6] なんですけど…」という発言もあったが、なぜそのような名前になったかの説明は無かった。
その後2017年に再発されたアルバム「L」の岡井大二によるライナーノーツによると「わかりやすくて、記号っぽくて、音楽によく使われる言葉で何かちょうどいい記号はないか、となって、じゃあLとRだろう」「兄弟のつむじが右と左で逆だったからそれもこじつけられるんじゃないか」「アルバムタイトルにもLとRをつけるっていう遊びにもつながるから」という理由でL⇔Rになったことや、「Lefty in the Right」という名称も後付けであることが記述されている。
ディスコグラフィー
シングル
アルバム
#
タイトル
順位
発売日
ミニ
L
CD 1991年11月25日
98位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
1st
Lefty in the Right
84位
CD 1992年0 4月25日
CD 1993年0 4月16日
LP 1995年0 7月0 1日
再発CD 1997年0 7月25日
SHM-CD 2009年0 4月0 1日
107位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
2nd
LAUGH + ROUGH
97位
CD 1992年11月16日
CD 1993年0 4月16日
LP 1995年0 7月0 1日
再発CD 1997年0 7月25日
SHM-CD 2009年0 4月0 1日
108位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
3rd
LOST RARITIES
54位
CD 1993年0 6月25日
再発CD 1997年0 7月25日
SHM-CD 2009年0 4月0 1日
113位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
4th
Land of Riches
47位
2枚組CD 1993年12月20日
LP 1995年0 7月0 1日
再発CD 1997年0 7月25日
2枚組SHM-CD 2009年0 4月0 1日
122位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
リミックス
LAND OF RICHES Reverse
CD 1994年0 4月25日
5th
LACK OF REASON
14位
CD 1994年10月21日
LP 1995年0 7月0 5日
130位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
ベスト
Singles&More
40位
CD 1994年12月0 1日
SHM-CD 2009年0 4月0 1日
6th
Let me Roll it!
5位
CD 1995年12月16日
LP 1996年0 1月19日
100位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
7th
Doubt
9位
CD 1997年0 4月16日
LP 1997年0 5月16日
129位
UHQCD 2017年0 2月0 8日
ミニ
L + R
2枚組CD 1997年0 7月25日
LP 1997年0 8月25日
ライブ
LIVE RECORDINGS 1994-1997
CD 1997年0 9月19日
ベスト
Singles&More Vol.2
36位
CD LP 1997年12月0 3日
TREASURE COLLECTION
CD 1999年0 6月30日
Last Roll - 11Years Of L⇔R
CD 2002年0 9月19日
Looking Back - 11 years of L⇔R
CD 2002年10月30日
プラチナムベスト L⇔R
279位
UHQCD 2015年0 6月17日
B-side to sea side
配信 2016年12月26日
コンピレーションアルバム
STEREOPHONIC WITZ COMPILATION Vol.1 (1994/09/10)
WITS+Z COMPILATION VOL.2 (1998/04/01)
Exotic Beatles (2005/07/25)
Who is The Star? -WITS Compilation Vol.3- 20th anniversary edition (2012/08/08)
映像作品
タイアップ一覧
ヘビーローテーション/パワープレイ
ラジオ
放送年
曲名
ラジオヘビーローテーション/パワープレイ
1992年
BYE BYE POPSICLE
FM802 1992年4月度ヘビーローテーション[ 8]
1993年
君と夏と僕のブルー・ジーン
FM NACK5 『JAPANESE DREAM 』1993年12月度 歴代JDグランプリ受賞曲
1994年
REMEMBER
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1994年7月度 歴代JDグランプリ受賞曲
HELLO, IT'S ME
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1994年10月度 歴代JDグランプリ受賞曲
1995年
KNOCKIN' ON YOUR DOOR
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1995年4月度 歴代JDグランプリ受賞曲
ABCラジオ 『ABCミュージックパラダイス 』1995年5月度ミューパライチ押しナンバー
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1995年5月度 歴代JDグランプリ受賞曲
BYE
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1995年10月度 歴代JDグランプリ受賞曲
DAY BY DAY
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1995年11月度 歴代JDグランプリ受賞曲
1996年
GAME
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1996年1月度 歴代JDグランプリ受賞曲
NICE TO MEET YOU
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1996年6月度 歴代JDグランプリ受賞曲
1997年
アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1997年2月度 歴代JDグランプリ受賞曲
STAND
FM NACK5『JAPANESE DREAM』1997年3月度 歴代JDスーパー・グランプリ受賞曲
ライブツアー
「Back To Mono」(1993.02.10 - 02.18/全国4都市4公演)
「Back To Mono 2」(1993.07.24 - 08.27/全国3都市3公演)
「Back To Mono 3 -Psychedelic Beauty- "L" Night」(1993.12.20 - 1993.12.21/全国1都市2公演)
「Back To Mono 3 -Psychedelic Beauty- "R" Night」(1993.12.23 - 1993.12.24/全国1都市2公演)
「Back To Mono 3 -Psychedelic Beauty- "?" Night」(1993.12.25/全国1都市1公演)
「Equinox」(1994.03.14 - 03.30/全国7都市7公演)
ツアータイトルが「Equinox」であるにもかかわらず、「EQUINOX」が演奏されなかったツアーである。
「Lack of Reason」(1994.10.28 - 11.30/全国10都市10公演)
「Lack of Reason -Return-」(1995.01.06 - 0.10/全国3都市4公演)
「Rock'n Roll Jet Set -Back To Mono 4 You-」(1995.07.29 - 08.04/全国3都市3公演)
「Let me Roll it!」(1996.01.14 - 02.24/全国17都市18公演)
「Let me Roll it! Surplus」(1996.03.09 - 03.20/全国2都市3公演)
「Doubt - Preview- 」(1997.04.26 - 04.27/全国1都市2公演)
「Doubt」(1997.05.15 - 06.29/全国10都市13公演)
メディア出演
ラジオ番組
SF Rock Station (東海ラジオ 1992年4月 - 1993年6月)
L⇔R STEREO MAGIC(FM横浜 1992年7月 - 1993年3月)
L⇔Rのオールナイトニッポン (ニッポン放送 1992年10月5日、10月12日)
本来は「マンスリーパーソナリティ」枠で各人が4回、または5回担当するのが決まりであった。しかし局の方針で番組は中断して、L⇔Rは現在「オールナイトニッポンのパーソナリティ最短記録」を保持している。
L⇔R MONDAY STEREO MAGIC(FM横浜 1993年4月 - 1993年9月)
L⇔R ジャンブル タンブル(α-Station 1993年10月 - 1993年12月)
L⇔R Hi-Fi STEREO MAGIC(FM横浜 1993年10月 - 1994年3月)
アップタウンスクウェア「浦和より愛をこめて」(NACK5 1995年1月 - 1995年3月)
Music Gambo(FM802 1995年10月 - 1997年1月 ※黒沢健一のみ)
L⇔Rのドライビン・ア・ゴー・ゴー(TOKYO FM 1996年3月 - 1996年9月)
受賞歴
1995年
脚注
注釈
^ 起用されたのは1996年初頭で、この曲が発売される頃には放映は終わっていた
^ 現在の三菱UFJ銀行
出典
外部リンク