J・H・モーガン(Jay Hill Morgan、1873年12月10日 - 1937年6月6日)は、アメリカ・ニューヨーク州バッファロー出身の建築家。1920年(大正9年)に来日し、三菱合資会社地所部が計画する丸ノ内ビルディングや郵船ビルディングなど、日本の建設業近代化の礎となる大規模ビルディングの建設に設計技師長として参画。米国の先進的な施工技術を日本へ伝える大きな役割を果たした。1922年(大正11年)には設計事務所を開設し、1937年(昭和12年)に亡くなるまで、ベーリック・ホールなどの邸宅や学校・教会などのミッション建築を主体に、銀行や病院など多くの作品を設計した[1]。
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