GKSカトヴィツェ |
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原語表記 |
Górniczy Klub Sportowy Katowice |
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愛称 |
GieKSa GieKSiarze Trójkolorowi |
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クラブカラー |
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創設年 |
1964年 |
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所属リーグ |
Iリガ |
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所属ディビジョン |
2部 |
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ホームタウン |
カトヴィツェ |
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ホームスタジアム |
スタディオンGKSカトヴィツェ |
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収容人数 |
9,511 |
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監督 |
ラファウ・ゴラク[1] |
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公式サイト |
公式サイト |
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
GKSカトヴィツェ(GKS Katowice (ポーランド語発音: [ɡʲɛ ka ˈɛs katɔˈvitsɛ]))は、ポーランド・シロンスク県カトヴィツェに本拠地を置くサッカークラブである。2023-24シーズンはIリガに所属している。
歴史
1964年、カトヴィツェに本拠地を置いていた複数のクラブが合併し、GKSカトヴィツェが誕生。翌1965年からポーランドサッカーのトップリーグ(現エクストラクラサ)に参戦した。
1971年に一度2部リーグに降格してしまうが、すぐに復帰。1985年にはクラブ史上初めてポーランド・カップの決勝に進出したが、PK戦までもつれた末にヴィジェフ・ウッチに敗れた。翌年も2年連続でカップ決勝に進み、今度はグールニク・ザブジェを破り、クラブ初のタイトルを手にした。1986年から1995年までの期間はクラブの黄金期であり、リーグ準優勝4回、ポーランドスーパーカップ優勝2回、ポーランドカップ優勝3回の成績を収めた。
また1970年にはクラブ初の国際大会参戦となったインターシティーズ・フェアーズカップでFCバルセロナと対戦。1986-1987シーズンから約10年間、ヨーロッパの国際大会に参加した。
しかし1990年代末ごろから慢性的な財政難に苦しみ、2004-05シーズンはエクストラクラサを最下位の14位で終え、Iリガに降格した。その後も成績は下降線をたどり、一時は4部リーグでのプレーを余儀なくされた。その後、経営体制の改革が行われ、2006年6月に3部、2007年6月に2部に復帰した。現在は2部と3部を行き来している。
タイトル
国内タイトル
- (3): 1986, 1991, 1993
- (2): 1991, 1995
国際タイトル
なし
欧州国際大会での成績
シーズン
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大会
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ラウンド
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対戦クラブ
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結果
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1970–71
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インターシティーズ・フェアーズカップ
|
1R
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FCバルセロナ
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0–1, 2–3
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1986–87
|
UEFAカップウィナーズカップ
|
1R
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|
フラム・レイキャヴィーク
|
3–0, 1–0
|
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|
2R
|
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FCシオン
|
2–2, 0–3
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1987–88
|
UEFAカップ
|
1R
|
|
FCスポルトゥル・ストゥデンツェスク・ブカレスト
|
0–1, 1–2
|
1988–89
|
UEFAカップ
|
1R
|
|
レンジャーズFC
|
0–1, 2–4
|
1989–90
|
UEFAカップ
|
1R
|
|
ロヴァニエメン・パロセウラ
|
1–1, 0–1
|
1990–91
|
UEFAカップ
|
1R
|
|
トゥルン・パロセウラ
|
3–0, 1–0
|
|
|
2R
|
|
バイエル・レバークーゼン
|
1–2, 0–4
|
1991–92
|
UEFAカップウィナーズカップ
|
1R
|
|
マザーウェルFC
|
2–0, 1–3
|
|
|
2R
|
|
クラブ・ブルッヘ
|
0–1, 0–3
|
1992–93
|
UEFAカップ
|
1R
|
|
ガラタサライSK
|
0–0, 1–2
|
1993–94
|
UEFAカップウィナーズカップ
|
1R
|
|
SLベンフィカ
|
0–1, 1–1
|
1994–95
|
UEFAカップ
|
Q
|
|
インター・カーディフFC
|
2–0, 6–0
|
|
|
1R
|
|
アリス・テッサロニキ
|
1–0, 0–1
|
|
|
2R
|
|
FCジロンダン・ボルドー
|
1–0, 1–1
|
|
|
3R
|
|
バイエル・レバークーゼン
|
1–4, 0–4
|
1995–96
|
UEFAカップウィナーズカップ
|
Q
|
|
FCアララト・エレバン
|
2–0, 0–2
|
2003–04
|
UEFAカップ
|
Q
|
|
FKセメンタリニカ55
|
0–0, 1–1
|
歴代所属選手
脚注
外部リンク