1934年にRLMはドイツ空軍のハインケル He 50を代替する新しい急降下爆撃機を開発する計画を2つ並行して開始した。最初の「ゾフォルト」(Sofort:緊急)と呼ばれる計画は暫定的な急降下爆撃機であり、ヘンシェル Hs 123の生産へと結びついた。2つ目の「シュトゥルツボンバー」(Sturzbomber:急降下爆撃機)計画はより完成度の高い航空機の生産を目指していた。1935年1月にこの計画に対する正式な要求仕様がドイツの航空機メーカーへと送られた[1]が、この仕様は既に試作初号機が製作に入っていたユンカース Ju 87に合わせて作成されており、実際にはドイツ空軍は既にユンカース社に対して118機分の発注をしていた[2]。にもかかわらず2社が競合機となるハインケル He 118とアラド Ar 81の試作機を各々3機ずつ受注し、ブローム・ウント・フォス Ha 137が自主開発機として競争試作に参加した[3]。
Ar 81はこの中で唯一の複葉機であり、これはエルンスト・ウーデットの助言によるものだと言われている。競合機が逆ガル翼の単葉機という形態を採っているのに対しこの時代遅れの形式を使用することはアラド社内でも幾分懐疑的であったらしい[2]が、結局Ar 81は全金属製の複葉機として製作された。本機はJu 87の試作初号機よりも流線形の洗練された設計であり、幾分小型で軽量であった。細い胴体は機首に覆いを密着させたユンカース ユモ 210Cエンジンを搭載し、その下側に大型のラジエーターを備えていた。主翼のスパンは比較的短く、外翼部で上翼と下翼をN字型支柱で繋ぎ、2名の搭乗員は主翼の直後にある半閉鎖式キャノピーで覆われた余裕のあるコックピットに背中合わせに座った。後部キャノピーの後端は開放式になっており、銃手は防御用機関銃で自在に照準を合わせることが可能であった。固定式の主脚の脚柱には流線型の覆いが取り付けられ、車輪はスパッツで覆われていた。