1995年度新人選手選択会議(1995ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は、1995年(平成7年)11月22日の午前10時30分から新高輪プリンスホテルで行われた[1]31回目のプロ野球ドラフト会議である。
概要
68選手の交渉権が確定した。これまで1球団最大10人であった最大指名人数が8人以内になった。中日か巨人を希望していた福留孝介に対し、意中球団の巨人、中日だけでなく、ヤクルト、近鉄、日本ハム、ロッテ、オリックスも指名し、計7球団の競合指名となった。高校生選手への指名としては、1985年(昭和60年)の清原和博の6球団を超えた。抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。しかし福留はドラフト会議前から「巨人と中日以外からの指名ならば社会人野球へ」と宣言しており、実際に入団を拒否し、日本生命に入社した。その外れ1位の指名では、原俊介に巨人と中日、澤井良輔にロッテとヤクルトが競合、いずれも前者が交渉権を獲得した。二度の抽選に失敗した中日とヤクルトは、それぞれ荒木雅博と三木肇を指名した。また、野村克則は実父の野村克也が監督を務めるヤクルトに指名され、入団した。
選択希望選手一覧
チーム
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近鉄
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阪神
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ダイエー
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中日
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日本ハム
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横浜
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西武
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巨人
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ロッテ
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広島
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オリックス
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ヤクルト
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1位①
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福留孝介
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舩木聖士
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斉藤和巳
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福留孝介
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福留孝介
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細見和史
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髙木大成
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福留孝介
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福留孝介
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長谷川昌幸
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福留孝介
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福留孝介
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1位②
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原俊介
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中村豊
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原俊介
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澤井良輔
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今村文昭
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澤井良輔
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1位③
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荒木雅博
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三木肇
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2位
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岡本晃
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中ノ瀬幸泰
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松本輝
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門倉健
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荒井修光
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関口伊織
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大友進
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仁志敏久
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薮田安彦
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吉年滝徳
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川崎泰央
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宮出隆自
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3位→
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武藤孝司
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林純次
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土井雅弘
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藤井優志
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沼田浩
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横山道哉
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小石澤浄孝
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清水隆行
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飯田雅司
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玉木重雄
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日高剛
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野村克則
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4位←
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倉本慎也
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曽我部直樹
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佐久本昌広
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渡辺博幸
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黒木純司
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杉山俊介
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岸川雄二
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大場豊千
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早川健一郎
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伊与田一範
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太田敦士
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石井弘寿
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5位→
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平下晃司
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高橋和幸
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大塔正明
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平松省二
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鶴岡一成
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原井和也
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大野倫
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松本尚樹
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高山健一
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田中雅興
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6位←
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福田信一
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益田大介
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箕田卓哉
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小林聡
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末広五大
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鈴衛佑規
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7位→
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日笠雅人
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中西有希人
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天野勇剛
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8位←
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大橋晋也
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- は逆指名、 は指名重複、矢印の向きはウェーバー制の指名順を示す。
- 背景色が暗い選手は入団拒否した選手。
指名選手
網掛けの選手は逆指名による入団
セントラル・リーグ
ヤクルトスワローズ
広島東洋カープ
読売ジャイアンツ
横浜ベイスターズ
中日ドラゴンズ
阪神タイガース
パシフィック・リーグ
オリックス・ブルーウェーブ
千葉ロッテマリーンズ
西武ライオンズ
日本ハムファイターズ
福岡ダイエーホークス
近鉄バファローズ
脚注
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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