1987年の日本グランプリ
レース詳細
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1987年のロードレース世界選手権 全15戦中第1戦
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決勝日
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1987年3月29日
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開催地
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鈴鹿サーキット
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開催コース
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常設サーキット 5,912km
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500 cc
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250 cc
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1987年の日本グランプリは、ロードレース世界選手権の1987年シーズン開幕戦として、3月27日から29日にかけて三重県の鈴鹿サーキットで開催された。このシーズンから決勝でのスタート方式が押しがけスタートからクラッチスタート方式となった。
概要
日本グランプリとしては1967年以来20年ぶりの開催となる。鈴鹿初開催となったWGP500ccクラスは、予選でホンダの最新ワークスマシン・NSRを得た初戦のニール・マッケンジー(HBホンダ)が2分14秒台のコースレコードでポールポジションを獲得し話題をさらったが、雨となった決勝レースではラッキーストライク・ロバーツ・ヤマハのランディ・マモラが1周目からチェッカーまでを独走で制した。マモラはダンロップタイヤを使用するチーム・ロバーツの優位性を生かし、ロスマンズ・ホンダのエースであるワイン・ガードナー、マールボロ・ヤマハのエースエディ・ローソンがともにミシュランユーザーだったことの間隙を突き、鈴鹿の雨をよく知る日本ダンロップが開発したレインタイヤの性能を活かした勝利であった。マモラのチームメイト、マイク・ボールドウィンも同じダンロップ・レインタイヤでマモラに次ぐ2位に浮上しチーム・ロバーツの1-2体制であったが、ボールドウィンは中盤転倒リタイヤを喫した。PPを獲得したマッケンジーは終盤までロン・ハスラム(elfホンダ)と表彰台圏内を争っていたが、やはり雨に足元をすくわれ最終盤で転倒、ハスラムもS字コーナーで転倒し、スズキの新型RGV500を開発する伊藤巧が殊勲の3位表彰台を獲得した。前年のWGP250cc最終戦サンマリノGPでWGP初優勝を果たし、この年マールボロ・アゴスチーニ・ヤマハから500ccクラスへのフルエントリーが実現した平忠彦は、この日本GPのみ資生堂TECH21カラーでの参戦となり、決勝レースで着実に6位入賞を果たした。ロスマンズ・ホンダのワイン・ガードナーのチームメイトに抜擢されフルエントリーを開始した八代俊二は序盤3位-5位争いのグループに加わっていたが、最終コーナーで転倒しリタイヤとなった。
250ccはスポット参戦の清水雅広(HRC)がポールポジションを獲得、決勝では少数派だったブリヂストンタイヤを使用する小林大(HRC)が2位のシト・ポンスに30秒近い差を付けて勝利、清水も4位に入賞するなど日本のホンダワークスコンビが活躍を見せた。
500ccクラス決勝結果
250ccクラス決勝結果
外部リンク