停車場・施設・接続路線
|
|
|
プルゼニ - ジャテツ線
|
|
196.6
|
旧ジャボクリキ
|
260 m
|
|
|
旧EPPK鉄道本線(ホムトフ方面)
|
|
200.7
|
旧リボチャニ
|
220 m
|
|
202.3
|
ジャテツ西駅
|
210 m
|
|
|
プラハ - ホムトフ線
|
|
203,6
|
ジャテツ
|
210 m
|
|
|
プラハ - ホムトフ線
|
|
207,2
|
トヴルシツェ駅
|
205 m
|
|
209,7
|
ドレイシーフールキ
|
205 m
|
|
213,9
|
リシャニ(ジャテツ近郊)
|
210 m
|
|
215,0
|
ポストロプルティ
|
210 m
|
|
|
クーティ - スドムニェルジツェ線
|
|
|
ローニ方面
|
|
|
ヴルブカ信号所
|
|
218.9
|
ヴィーシュコフ
|
220 m
|
|
221.5
|
ポチェラディ
|
220 m
|
|
223.1
|
ヴォレヴチツェ
|
220 m
|
|
|
プラハ - オブルニツェ線
|
|
|
チージコヴィツェ - オブルニツェ線
|
|
232.8
|
オブルニツェ
|
210 m
|
|
|
ドゥフツォフ、モスト方面
|
- 出典: チェコ鉄道地図[1]
- キロ程の零点はバイエルン・アイゼンシュタイン /
ゼレズナールダ・アルジュビェティーン国境駅を 基準とする。
|
チェコ国鉄123号線、別名ジャテツ〜オブルニツェ線(チェコ語;Železniční trať Žatec–Obrnice)は、レギオジェット・ウースチー県の鉄道線の名称である。
1872年に、プルゼニ・ブルジェズノ・ホムトフ鉄道の路線として開業した。2019年以前はチェコ鉄道が運行していたが、2019年末に移管された。
歴史
1870年4月21日にピルゼン(現在プルゼニ)とプリーゼン(現在ブジェズノ)間の本線およびザーツ(現在ジャテツ)を経由しブリュクス(現在モスト)・ドゥクス(現在ドゥフツォフ)で帝国特任アウシヒ・テプリッツ鉄道(k.k. privilegierte Aussig-Teplitz Eisenbahn)と接続する分岐線建設に関する許可は6人の創業者に与えられた。本線と分岐線の建設期限は3年と規定された[2]。帝国特任ピルゼン・プリーゼン・コーモタウ鉄道(k.k. privilegierte Eisenbahn Eisenbahn Pilsen–Priesen(–Komotau), EPPK)は1872年に創立された。1872年9月16日にザーツ - オーバーニッツ(現在オブルニツェ)間およびオーバーニッツ - ブリュクス間がまず開業された。同年10月24日にオーバーニッツ - ビリン(現在ビーリナ)間が貨物輸送向けに開通された。その区間には1873年5月1日に旅客輸送が可能となった。シャーボーグリュック(現在ジャボクリキ) - ザーツ間は同年9月7日に開通されて、ドゥクス方面の鉄道は10月27日に貨物輸送向けに完工した。1874年4月1日にビリン - ドゥクス区間は全体的に開業された[3]。
1884年7月1日付きにEPPKは国有化されこの路線もオーストリア帝国鉄道(k.k.österreichischer Staatsbahnen, kkStB)に組み入れられた[4]。
第一次世界大戦の終戦後、この路線は他の旧EPPK路線とともに新生のチェコスロバキア国鉄(Československé státní dráhy, ČSD)の路線網に組み入れられた。1938年秋、ミュンヘン協定によりナチス・ドイツがズデーテン地方を占領したのちに、この路線はドイツ国営鉄道(Deutsche Reichbahn, DR)のドレスデン管理局に配属された。1944年当時の路線番号はプルゼニ - ジャテツ区間とジャテツ - ドゥフツォフ区間を合わせて統合された[5]。
1945年に第二次世界大戦が終わって、この路線はČSDの路線網に復帰した。1950年代に褐炭採掘産業が北部ボヘミア盆地で集約的となった。ドゥービー、ビーリナ、モストの間にあった耕作地が炭鉱拡張のためだんだん消滅して、町や道路・鉄道交通が犠牲になった。1962年に旅客列車がオブルニツェ - ドゥフツォフ区間で通行しなくて、ビーリナ - レドヴィツェ区間の線路が断絶した。
1960年代にオブルニツェ - ビーリナ区間の複線改修工事が開始されて、目的はウースティー - ホムトフ線の移設および列車路線の共有であった。1968年4月8日にビーリナ - オルドジホフ移設区間が複線と電車線で設備された。1979年に三番目の線路がチェスケー・ズラトニキ分岐点 - ビーリナ間に設置された。1980年代に電化工事はジャテツ西駅 - オブルニツェ駅間で、石炭輸送の目的で進行されて、1985年10月31日に電気運転が実現された。
1993年1月1日にチェコスロバキアの分離により、チェコ鉄道(České Dráhy, ČD)はこの路線を引き受けた。その後、この路線の重要度は低くなって、優等列車運行はプルゼニとリベレツの間に中止された。
運行形態
ウースチー州運輸連合(Dopravy Ústeckého kraje, DÚK)はこの路線の地域公共交通を担当する[6]。
快速「スピェシニー(Sp)」
- ジャテツ - ポストロプルティ - ウースチー ※GW Train Regio社による運行
- 平日は一日4往復、土曜日は北行のみ片道1本、日曜日は南行のみ片道1本の運行。ポストロポルティ以東は114号線に乗入れる。
- 2023年度に運行を開始した。
普通
- ジャテツ西 - モスト ※レギオジェット・ウースチー県による運行
2時間に1本、平日午後のみ1時間に1本運行されている。全て線内のみの運行。また、モストで130号線プラハ方面の特急と接続する。
2019年以前は、平日のみ一日片道1本のみ、135号線のオセクまで直通する便があった。
臨時列車
- 快速
- 春・秋に年2日、ホムトフ/ロウニ - ポストロポルティ - ジャテツ - ルジナー間に、一日1往復運行する。ポストロプルティ以東は114号線から直通し、ジャテツ以南は124号線に直通する。ポストロポルティ - ジャテツ間ノンストップで、ポストロプルティは春季に停車、秋季に通過となる。2018,19年運行。
- 2018年は、春の年1日のみ、ルジナー行片道1本の運行であった。また、ポストロプルティにも停車していた。
駅一覧
以下では、チェコ国鉄123号線の駅と営業キロ、停車列車、接続路線などを一覧表で示す。なお、全て各駅停車である。
参考文献
外部リンク
脚注