黒部市民病院(くろべしみんびょういん)は、富山県黒部市にある医療機関[1]。二次医療圏である新川医療圏の中核病院であり、同医療圏唯一の災害拠点病院である[1]。二次救急医療を担当している。他に、黒部市に隣接する自治体の病院として、富山労災病院、あさひ総合病院がある。
第二種感染症指定医療機関に指定されている。
沿革
1945年(昭和20年)、社会の要請により当時の桜井町長の森丘正唯が中心となって公立病院の設立が検討され[2]、1946年(昭和21年)秋に病院の設置が決まり[3][4]、設立までの間は富山県農業会附属診療所として診療を開始した[2]。同年10月に厚生省(現・厚生労働省)に補助を申請。同年12月に不二越工場の山室・東岩瀬の寮(計959坪)を買収移築して1947年(昭和22年)3月に着工、5月8日に地鎮祭および起工式が開かれた。同年12月に第1期工事が完成したことに伴い、同年12月23日に『国民健康保険組合下新川厚生病院』として竣工、開院式が行われた。この時点での病院は2階建て(一部3階建て)であった[3][4]。
1953年(昭和28年)には桜井町立となり、1954年(昭和29年)に『黒部厚生病院』に改称、1968年2月に新棟が完成、1976年(昭和51年)3月に現在の『黒部市民病院』に改称された。1980年(昭和55年)には鉄筋6階建ての病棟が、1981年(昭和56年)10月5日には鉄筋コンクリート3階建ての診療、管理棟が運用を開始し[5]、1982年(昭和57年)2月に全工事が完了した[4][6]。
1987年(昭和62年)、自治体立優良病院として厚生大臣の表彰を受ける[7]。
1995年(平成7年)3月、第二病棟南側に新病棟が着工し、1996年(平成8年)に竣工、同年10月12日に新病棟に移転した。新病棟は鉄筋鉄骨コンクリート造地上7階建てで延床面積は11,373㎡。アメリカ・ボルチモア医療センターをヒントに、全国初のコンベックス型(全病室にトイレ、洗面所、ロッカーを設置し、全ベットが窓に面している)の病室を採用し、母子医療センターや血液ガン治療セクションも新設している[8]。1998年(平成10年)4月1日には、病院内にて新川医療地域救命センターが稼働を開始し[9]、同年6月、改修工事が完了。病床数も424床となった[10]。
2015年(平成27年)9月24日に新外来診療棟での診療を開始した[1]。
診療科
交通
脚注
- ^ a b c d 高津守 (2015年9月18日). “新しい診療棟が完成 黒部市民病院、24日から”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 富山全県版
- ^ a b 『三島公民館新築記念 目で見る三島町いまむかし』(1995年9月1日、三島町町内会発行)72頁。
- ^ a b 『黒部市誌』(1964年11月1日、黒部市役所発行)694 - 696ページ。
- ^ a b c 『黒部市史 歴史民俗編』(1992年3月25日、黒部市発行)1075 - 1077ページ。
- ^ 『北日本新聞』1981年10月4日付朝刊13面『黒部市民病院 新館が完成 あすから診療スタート』より。
- ^ 『黒部市制30周年 30年見つめ直して新世紀 黒部』(1984年4月、黒部市発行)7 - 9ページ。
- ^ 『三島公民館新築記念 目で見る三島町いまむかし』(1995年9月1日、三島町町内会発行)73頁。
- ^ 『北日本新聞』1996年10月3日付朝刊24面『高水準の医療態勢整う 黒部市民病院東病棟完成 全国初 全ベットが窓面に コンベックス型を採用』より。
- ^ 『北日本新聞』1998年4月2日付朝刊20面『地域救命センター稼働 黒部市民病院 新川救急医療の拠点 33病床、24時間体制で対応』より。
- ^ 『北日本新聞』1998年6月5日付朝刊22面全面広告『地域とともに五十年 黒部市民病院竣工 21世紀にむけた新川の総合医療拠点をめざして』より。
外部リンク
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