『鸚鵡籠中記』(おうむろうちゅうき)は、尾張藩の尾張徳川家の家臣であった朝日文左衛門重章によって書かれた日記。内容は貞享元(1684)年から享保2(1717)年におよぶ[1]。
概要
貞享元年から7年間の内容は、父重村の留め書きを後に付加したものである[1]。重章による書き始めは元禄4年6月13日(旧暦、1691年7月8日)[1]、書き終わりは享保2年12月29日(旧暦、1718年1月30日)[1]。期間26年8ヶ月、日数8,863、冊数37、字数200万におよぶ膨大な日記で、貞享から享保年間の尾張藩史料として、文学・芸能・風俗資料として非常に貴重なものである[1]。
その内容は、尾張藩の中級武士としての日々の生活を中心に、藩主の行動や世上の風聞などを記したもので、日々の天候まで詳細に記録されている[1]。当時、尾張藩は藩政確立期であるとともに、様々な不祥事も起こしており、公的な史料に残らなかった史実も書き留めている[1]。また、重章が歌舞伎や浄瑠璃、飲食を愛する人物であったため、これらに関する記述も詳しい[1]。
『元禄御畳奉行の日記』[要ページ番号]では、籠の中にいる鸚鵡のように口真似をしているつもりで、日常見聞きした事柄を書き綴った日記という意味ではないかという推測がされている。
朝日重章の死後、跡継ぎに娘しかいなかったため養子を立てたが、病弱であったためほどなく知行を返上、朝日家が断絶したため、経緯は不明ながら『鸚鵡籠中記』は尾張藩の藩庫に秘蔵された。その後、昭和40年代までの約250年にわたって公開されず、幻の書として存在のみが知られていた。[要出典]
『鸚鵡籠中記』の公開がはばかられた理由は、尾張藩への批判や醜聞が記載されていたためと考えられる。例えば4代藩主徳川吉通の大酒などの愚行を記述し、藩主と追従する重臣を批判している。またその生母本寿院の好色絶倫な荒淫ぶりをいくつも記載していたり、当時の生類憐愍の令について、尾張藩において取り締まりがほとんど行われていなかった事実も記載されている[注釈 1]。[独自研究?]
現在、唯一の刊本を徳川林政史研究所が所蔵している[1]。抄本は大道寺家本、国会図書館本、名古屋鶴舞図書館本などがある[1]。現存する写本は、端正な筆跡で整然と記述されている点から、朝日文左衛門自身が書いた物ではなく、遺族が藩に提出した物を記録用に祐筆が清書した物ではないかとされる。[要出典]
翻刻・校訂本
全文の翻刻は『名古屋叢書』の第9巻から第12巻に収録されている。また、摘録が塚本学の編集により刊行されている。訳・解説には、加賀樹芝朗『朝日文左衛門「鸚鵡篭中記」』(江戸時代選書1 雄山閣 2003年)がある。
関連作品
- 石ノ森章太郎『フォーカス奉行 朝日文左ヱ門』サンケイ出版、1987年5月。 2015年4月現在、電子書籍『石ノ森章太郎デジタル大全』シリーズの一冊として有料配信されている。
脚注
注釈
- ^ 著者は魚釣りや投網打を好み、綱吉の死とともに禁令が消滅するまでの間だけでも、禁を犯して76回も漁場へ通いつめ、すなわち「生類に対する殺生」を重ねていた。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第1巻』岩波書店、1983年10月、412-413頁。
- ^ 2018年1月11日中日新聞朝刊11面
- ^ 2018年5月1日中日劇場(中日新聞文化芸能局)発行「中日劇場全記録」
関連項目
- 天野源蔵 - 重章が終始兄事した人物
- 元禄なう - 2016年にNHKで放送されたドキュメンタリー番組。朝日重章が2016年の日本にタイムスリップしてきた設定で、元禄武士の視点で現代に生きる人々の姿を描く。
外部リンク