鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は、奈良県奈良市春日野町にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。
概要
奈良県北部、奈良市北東郊の若草山(標高342メートル)山頂に築造された大型前方後円墳である。「鶯塚」の古墳名は、清少納言の『枕草子』における「うぐひすのみささぎ」を本古墳に比定する伝承に由来する。これまでに測量調査が実施されているが、発掘調査は実施されていない。
墳形は前方後円形で、前方部を南南西方向に向け、墳丘の側面を平野側に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成と見られる。墳丘外表では全面に砕石による厚い葺石が認められるほか、円筒埴輪列・形象埴輪(家形・舟形・蓋形埴輪)が検出されている。また前方部前面には出島状施設が認められる。埋葬施設は明らかでないが、墳丘上では副葬品と見られる小型内行花文鏡・滑石製斧形石製品が出土している。付近の前方部前方には小方墳1基・小円墳2基が残るが、これらは陪塚の可能性が指摘される。築造時期は古墳時代前期後半頃と推定される。
古墳域は、1936年(昭和11年)に国の史跡に指定されている[5]。
遺跡歴
墳丘
墳丘の規模は次の通り。
- 墳丘長:107メートル - 文献によっては103メートル。
- 後円部 - 3段築成。
- 前方部 - 2段築成。
後円部墳頂には江戸時代の享保18年(1733年)に石碑が建立されており、正面には「鶯塚」、裏面には「享保十八歳次癸丑九月艮辰東大寺大勧進上人康訓建 延喜式曰平城坂上墓 清少納言謂之鶯陵 并河永誌」と記載されている。また墳頂には三等三角点「三笠山」がある。
2020年度(令和2年度)の3次元測量調査では、前方部前面において25.0メートル×16.6メートルの出島状施設が見出されており、墳丘と出島状施設とは陸橋で結ばれる。
文化財
国の史跡
- 鶯塚古墳 - 1936年(昭和11年)9月3日指定[5]。
関連施設
脚注
参考文献
- 地方自治体発行
- 「ドローンを用いた鶯塚古墳の3次元測量調査」『奈良市埋蔵文化財調査年報』 令和2(2020)年度、奈良市教育委員会、2023年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 事典類
- その他
- 伊達宗泰『大和考古学散歩』学生社、1968年、pp. 14‐18。
- 『図説日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎、1991年。
関連項目
外部リンク
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