魯国公主(ろこくこうしゅ、노국공주)は、高麗の第31代王恭愍王の妃。モンゴル人で、本名は宝塔失里(ブッダシュリ)。
父は元の皇族の魏王ボロト・テムル(アムガの子)。1349年10月に降嫁される[1]。降嫁後、元より承懿公主に封じられる。懐妊するが、難産のため逝去した。なお、子は死産であった(先に一度懐妊しており、娘を流産したという記録も残っている)。没後、仁徳恭明慈睿宣安王太后と贈号される。
1367年、元より魯国徽翼大長公主に追封され、後に魯国徽懿大長公主に改められる。
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