高麗王后(こうらいおうごう)は、高麗王朝時代(918年 - 1392年)の王妃のことをいう。出典は『高麗史』、『元史』であるが、『高麗史』の基準によっている。以下の注意事項を示す。
13世紀後半から14世紀半ばにかけて、元に支配された高麗の歴代国王(第24代元宗から第31代恭愍王)は、支配された初期の元宗と、夭逝した忠穆王・忠定王を除き、モンゴル帝室の公主を娶った[1]。
歴代の王后一覧
関連項目
脚注
- ^ 他に金致陽との間に男子がある[3]。
- ^ a b 献貞王后が夫であった景宗と死別後、王郁との間に儲けた息子。
- ^ 前夫王圭との間の娘[5]。
- ^ 高麗史第88巻列伝1后妃中には記載があるが他の巻中では存在が確認できない。
- ^ 父親の李資謙が仁宗暗殺を企てて贈った毒入りの餅をカラスに投げ与え、そのカラスが死んだ事で暗殺未遂が露見した。廃妃となった後も王を救った功績により、家、土地、奴婢を与えられ、没した時は王后と同格の葬儀が行われた[6]。
- ^ 慶州金氏または江陵金氏のいずれかではないかと推測されている[7]。
- ^ 森平雅彦は彼女について、金童の姉妹ではないかという説を挙げている[8]。
文献