高知師範学校 (こうちしはんがっこう) は第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、高知県に設置された師範学校である。
本項は、高知県師範学校(こうちけんしはんがっこう)、高知県女子師範学校(こうちけんじょししはんがっこう)などの前身諸校を含めて記述する。
前身の高知県師範学校から引き継いだ高知市大膳様町 (旧・小高坂村、現・大膳町) の校地を使用したが、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月、高知大空襲で講堂を残して全焼した。戦後は焼け残りの講堂や土佐簿記学校を使用して授業が再開された。1947年(昭和22年)11月、高知市朝倉1000番地 (現・曙町) の朝倉兵舎跡に移転し、男子部・女子部が統合された。朝倉校地は後身の新制高知大学に引き継がれて現在に至っている (現・朝倉キャンパス)。
旧小高坂校地は、現在は高知市立城西中学校・高知県立盲学校の校地となっている。
前身の高知県女子師範学校から引き継いだ高知市潮江 (現・塩屋崎町) の校地を使用したが、1945年(昭和20年)7月の空襲で校舎の大半を焼失した。戦後の授業再開時は、旧天満紡績工場や女子商業学校校舎を借用したが、1947年(昭和22年)11月、朝倉兵舎跡に移転し、男子部と統合された。旧潮江校舎の跡地は、高知市立潮江中学校となっている。
朝倉校地で男子部・女子部統合後、1964年に小津校舎(かつての高知高等学校 (旧制)の校地)に移転した。
この項目は、高知県の学校に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育/PJ学校)。
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