高橋 半(たかはし なかば、1907年11月27日 - 1988年4月23日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者、とくに日本のトーキー黎明期以降、映画音楽の作曲・編曲・指揮を行った人物である[1][2][3]。
1907年(明治40年)11月27日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[1][2]。早稲田実業学校(旧制専門学校、現在の早稲田大学)を中途退学し、中島六郎、山田耕筰に師事する[1][2]。
その後、満27歳を迎える1934年(昭和9年)、京都の片岡千恵蔵プロダクションに入社する[1]。同社で手がけた作品で記録に残るものは、伊丹万作監督の『戦国奇譚 気まぐれ冠者』(1935年)および『赤西蠣太』(1936年)である[3]。1937年(昭和12年)、日活京都撮影所に移籍、初年度は、同年7月14日公開の『恋山彦 風雲の巻』、同年8月11日公開の『恋山彦 怒濤の巻』、同年12月31日公開の『血煙高田の馬場』といったマキノ正博(のちのマキノ雅弘)の監督作や、池田富保監督の『水戸黄門廻国記』(同年10月14日公開)、衣笠十四三監督の『続浮世三味線』(同年12月1日公開)を手がけた[3]。
1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、日活京都撮影所は大映京都撮影所となり、新興キネマ京都太秦撮影所は大映第二撮影所(のちの東横映画、現在の東映京都撮影所)となったが、高橋は、同年、大映第二撮影所が製作し、同年9月24日に公開された仁科紀彦監督の『江戸の朝霧』の音楽を手がけている[3]。
第二次世界大戦終結後は、終戦直後に大映京都撮影所が製作し、1945年(昭和20年)8月30日に公開された丸根賛太郎監督の『花婿太閤記』の音楽を手がけている[3]。翌年以降は、マキノ正博が所長に就任した松竹京都撮影所や、マキノ真三・高村正次が主宰する新光映画、高村将嗣(高村正次)の宝プロダクションを中心に音楽を手がけることになる[3]。1954年(昭和29年)以降は、手がける作品のほとんどが、東映京都撮影所作品となる[3]。1961年(昭和36年)7月22日、名城アバカンパニーを設立、のちに会長に就任する[2][4]。1965年(昭和40年)11月27日に公開された黒田義之監督の『新・鞍馬天狗 五條坂の決闘』が、記録の上では、高橋が手がけた最後の劇場用映画とされる[3]。
1988年(昭和63年)4月23日、死去した[1][2]。満80歳没。作曲家の高橋城は子息[2]。
映画音楽を手がけた作品のおもな一覧である。クレジットはすべて「音楽」である[3]。
日本音楽著作権協会データベースによる作品を中心としたおもな楽曲の一覧である[5]。特筆以外は「作曲」である。