駒木根 友房(こまぎね ともふさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏、小西氏の家臣。後に島原の乱一揆軍の評定衆。糸針の穴をも撃ちとおす鉄砲の名手で下針金作と呼ばれたという。
略歴
種子島の出身。最初は島津氏に仕えたが、故あって小西行長の家臣となった。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいて小西氏が没落した後は、三会村金作と名乗り島原半島の三会村に潜伏した。
寛永14年(1637年)の島原の乱において、一揆軍に加わり評定衆を務めた。寛永15年(1638年)1月1日の幕府軍による原城再攻撃において討伐軍の大将・板倉重昌を討ち取る戦功を挙げたが、同年2月28日の原城落城の際に戦死した。
出典
- 『天草騒動』(1692年、田丸具房 著)
- 『三会村物語』(1953年、渋江芋麿 編)