馬淵 かの子(まぶち かのこ、1938年1月6日 - 2025年1月4日)は、日本の元飛込競技選手。旧名・津谷 鹿乃子(つたに かのこ)。現役時代は倉敷レーヨンに所属した。
経歴・人物
松蔭女学校入学と同時に飛込競技を始め、1954年、16歳で日本代表としてアジア大会に初出場[1]。1954年から1974年までのアジア大会にて3m飛板飛込と10m高飛込で計5個のメダルを獲得した。夫である馬淵良とともに1956年メルボルン、1960年ローマ、1964年東京オリンピックで7位から16位に入る[2]。産後、一度は引退するも現役復帰を果たしている[1]。娘の馬淵よしのもオリンピックに出場した飛込競技選手[2]。
二度目の現役引退後は夫・良と共にJSS宝塚スイミングスクール(日本国内初の飛込競技専用屋内プール)を立ち上げ、実娘の馬淵よしの、寺内健、玉井陸斗など数多くの選手を指導、80歳を超えるまで現役指導者であった[1]。
2024年パリオリンピックには指導した玉井陸斗が男子高飛込に出場し、銀メダルを獲得した。その後、同年に膵臓がんに罹患している事が判明し、入退院を繰り返していた[3]。
2025年1月4日、肺炎のため、神戸市内の病院で死去した[4][5]。86歳没。なお87回目の誕生日を迎える前々日に病死した。
脚注
関連項目
- 馬淵崇英 - 中国出身の日本の飛込指導者。帰化する際、馬淵かの子から馬淵姓を授かった。
外部リンク