青木 金吾(あおき きんご、1890年〈明治23年〉[1] - 1984年〈昭和54年〉7月22日)は、昭和時代の政治家。北海道蘂取郡蘂取村長、紋別郡生田原村長、紋別郡興部村長、白糠郡白糠町長。
経歴・人物
1933年(昭和8年)4月、北海道蘂取郡蘂取村長に就任。ついで1936年(昭和11年)11月、紋別郡生田原村の第五代村長に就任し[3]、1939年(昭和14年)興部村長に転じた[4]。のち1947年(昭和22年)から白糠郡白糠町長を四期務めた[5]。
1965年(昭和40年)興部町名誉町民第1号として推挙された[6]。ほか、新十津川望郷会会長[7]、白糠町のアイヌ弔魂碑建立期成会会長を務めた[8]。
1984年(昭和54年)7月22日死去[9]。死没日をもって従六位に叙される[10]。
脚注
参考文献
- 根室・千島歴史人名事典編集委員会 編『根室・千島歴史人名事典』根室・千島歴史人名事典刊行会、2002年。