青木 太郎(あおき たろう、1908年(明治41年)7月31日[1][2] - 1977年(昭和52年)[3])は、昭和期の歯科医師、政治家。長野県中野市長。元中野市長の青木一は長男[4]。
来歴
長野県下高井郡延徳村大字三ツ和(現:中野市三ツ和)で[3]、元長野県会議員の青木賢一郎と千代の長男として生まれた[1][5]。青木家は代々松代藩の庄屋を勤役した旧家[6]。
旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を経て[3]、日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)卒業後[3]、東京帝国大学医学部修了(選科生)[1][3]。帰郷し、中野で歯科医院を開業した[3]。1937年(昭和12年)に応召し、1946年(昭和21年)陸軍大尉で復員した[1]。
1947年(昭和22年)長野県議会議員に選出され2期在任[3][2]。この間、1951年(昭和26年)長野県監査委員、1954年(昭和29年)中野市農業委員会委員を務めた[2]。
1958年(昭和33年)8月、中野市長選挙に当選し、1992年(昭和37年)8月まで1期務めた[2]。1970年(昭和45年)8月に中野市長に再選され、病のため1977年(昭和52年)6月、2期目の途中で辞職した[3][7]。在任中は市役所支所の統廃合、新制中学校、市営運動場、市民体育館、中央公民館等の建設、畑地灌漑事業、篠井川排水工事の竣工、下水道の整備などを実施した[3][7]。また北信地域広域行政組合長、北信保健衛生施設組合長、長野県中野土地改良区理事長などを歴任した[2]。
家族
- 青木家
脚注
参考文献
- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
|
---|
旧中野市長 | |
---|
中野市長 |
- 青木一2005.4.17-2008.10.9
- 小田切治世2008.11.23-2012.11.22
- 池田茂2012.11.23-2020.11.22
- 湯本隆英2020.11.23-
|
---|
カテゴリ |