延徳村[1][2](えんとくむら)は、長野県下高井郡にあった村。現在の中野市中心部の南西、長野電鉄長野線沿線にあたる。
歴史
村名の由来
延徳年間頃に遠洞湖を干拓し、耕地化した「延徳田圃」から。低地にあるため水害に遭いやすく、明治時代に救済策として杞柳(行李)の生産を奨励。豊岡杞柳細工で知られる兵庫県豊岡町(現・豊岡市)とは、大正から昭和にかけて杞柳細工の指導を仰いだり、神社を勧請して建立するなどの交流があった[3][4]。
沿革
行政
村長、助役、収入役は以下の通りである。
村長
助役
収入役
- 藤牧林右衛門 1889年5月 - 1893年3月[1]
- 西澤光太郎 1893年4月 - 1894年5月[1]
- 柴本禧之助 1894年6月 - 1897年6月[1]
- 佐藤九内 1897年6月 - 1898年6月[1]
- 久保田庄兵衛 1898年7月 - 1901年4月[1]
- 酒井實之助 1901年4月 - 1909年3月[1]
- 小林彦太 1909年4月 - 1913年3月[1]
- 西山芳松 1913年4月[1] -
経済
産業
- 金融機関
人口
1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数440、人口2200[2]。
出身人物
交通
鉄道路線
脚注
参考文献
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治36年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 『職員録 明治29年 乙』印刷局、1896年。
- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 文竜館編『長野県市町村提要』文竜館ほか、1918年。
- 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
- 『角川日本地名大辞典 20 長野県』。
関連項目