長嶋 建吾(ながしま けんご、1975年9月27日 - )は、日本の元プロボクサー。群馬県出身。本名は長嶋 健吾(読み同じ)。第38代日本スーパーフェザー級王者。第30代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。第52代日本ライト級王者。第42代OPBF東洋太平洋ライト級王者。初めて日本王座2階級制覇とOPBF2階級制覇を達成した人物。18(エイティーン)古河ボクシングジム所属。所属ジムの会長が父親という親子鷹で話題になった。群馬県立板倉高等学校卒業、法政大学中退。2006年3月、リングネームを本名から長嶋建吾へ改めた。
小学5年生から父である長嶋清18古河ジム会長の影響で、ボクシングを始める[1]。サウスポースタイルで、高校2年生から大学1年生までべにばな国体・東四国国体・わかしゃち国体で3連覇を果たした。そのまま大学を中退。
1995年6月3日、6回戦でプロデビューし、6R判定勝ちを収めた。
1998年6月8日、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者三谷大和に12R判定勝ちし、同王座を獲得。以後平仲信敏、渡辺雄二らを退け3度防衛し、1999年6月16日に返上。
2002年1月19日、日本スーパーフェザー級王者キンジ天野に判定勝ちし、同王座を獲得。世界挑戦のため、日本王座を返上。
2002年8月24日、WBC世界スーパーフェザー級王座決定戦でシリモンコン・シンワンチャーに2回2分22秒KOで敗れ、世界王座獲得に失敗。
2003年10月4日、元日本ライト級王者で元日本スーパーライト級王者のリック吉村とサバイバルマッチを行い、10R判定勝ち。リックはこの試合を最後に引退。
2004年11月20日、日本ライト級王者嶋田雄大に判定負け。日本王座獲得に失敗。
2006年4月10日、リングネームを長嶋建吾に改め、日本ライト級王者伊藤俊介と対戦。3-0の判定勝ちで同王座を獲得。日本王座の2階級制覇を達成した。
2006年9月9日、元日本王者の久保田和樹と対戦し、最大9点差が付く大差で初防衛に成功。
2006年12月3日、ノンタイトル戦を五十嵐圭を相手に10R判定で勝利。
2007年4月21日、日本ライト級1位の石井一太郎と対戦し、10R判定勝ちで2度目の防衛に成功。
2007年10月20日、同級1位のリッキー・ツカモトと対戦し、10R判定勝ちで3度目の防衛に成功。その後12月5日返上。
2008年3月15日、世界前哨戦として元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者でWBOアジア太平洋スーパーフェザー級王者のジムレックス・ハカとの一戦に10R判定勝ちを収めた。
2009年3月29日、OPBF東洋太平洋ライト級王座決定戦でOPBF東洋太平洋ライト級2位としてOPBF東洋太平洋ライト級1位のランディ・スイコ(フィリピン)に12回3-0(2者が118-110、115-113)の判定勝利を収めOPBF王座の2階級制覇に成功し、史上初の日本王座とOPBF王座の2階級制覇王者となった。この試合に対し、東日本ボクシング協会の平成21年3月度月間敢闘賞を受けた。
2009年6月13日、古河市古河体育館で1位の趙喜在(韓国)と対戦し、9Rにダウンを奪われるなどしてポイントを失ったが、2-1の判定勝利で初防衛に成功した。
2010年1月16日、2度目の防衛戦で三垣龍次に10RTKO負けを喫し、同王座から陥落。試合後、引退を表明した[2][3]。
2010年5月31日、古河市古河体育館で引退スパーリングの予定を変更してポンサトーン・スリスリー(タイ)と67.0kg契約8回戦の引退試合を行い[4]、これにフルマークの判定勝利を収めて[1]、試合後に引退式を行った[5]。
1998年6月8日 - 2006年6月16日(返上)
2002年1月19日 - 7月23日(返上)
2006年4月10日 - 2007年12月5日(返上)
2009年3月29日 - 2010年1月16日