釜谷(かまや)は、宮城県石巻市にある大字である。旧桃生郡河北町釜谷、桃生郡大川村釜谷、桃生郡釜谷浜に相当する。郵便番号は986-0111[3]。石巻市住民基本台帳によると、2021年(令和3年)12月末時点での人口は57人、世帯数は20世帯である[2]。
概要
石巻市の北西部に位置しており、北上川の河口に近い。東日本大震災で津波が押し寄せ深刻な被害をうけた。また、域内は川に沿って水田が開けている。
歴史
釜谷地区は旧大川村の中心集落であり、海・川・山に囲まれた釜谷の地は自然の恵みが豊かな地であった[6]。
北上川河口周辺一帯は東日本大震災で壊滅的な被害を受ける以前から、度々津波の被害を受けていたことがあり、869年の貞観地震や1611年の慶長地震、1896年の明治三陸地震などがその例であるが、河口から4km以上離れた内陸の釜谷地区における具体的な被災状況は記録に残っていない[6]。
石巻市の行政区域として成立したのは2005年4月1日で石巻市の成立に伴って、桃生郡河北町釜谷(1955年3月21日成立)から移管された。
施設
交通
道路・橋梁
バス
[8]
- 河北地区住民バス大川コース
- 雄勝地区住民バス・大須三区線(入釜谷バス停で乗降可能)
小字
- 消滅した小字
以下は2023年4月現在で消滅した小字である。
- 並嶋
- 榧ノ脇
- 尖
- 馬渡
- 小浜
- 町裏
- 明神前
- 琵琶首
- 長石
- 道宿田
- 沢根場
- 小松
- 大松
- 蟹瀬
- 甚平
- 滝徳
- 殽川下
- 苔萊(たいらい)
学区
域内の児童は石巻市立二俣小学校・石巻市立河北中学校に進学する[11][12]。
人口
2021年(令和3年)2月末時点での人口は以下の通りである[13]。
小字 |
世帯数 |
男 |
女 |
計
|
小浜 |
1世帯 |
0 |
1 |
1
|
七ケ入山 |
4世帯 |
4 |
4 |
8
|
新町裏 |
1世帯 |
1 |
0 |
1
|
天神山 |
11世帯 |
18 |
22 |
40
|
西宮山 |
2世帯 |
3 |
3 |
6
|
韮島 |
1世帯 |
1 |
0 |
1
|
東日本大震災
釜谷での東日本大震災の震度は概ね6弱であったと推測され、押し寄せた津波の高さは約10mで、域内の犠牲者は179人で2m以上が浸水した[14][15][16][17]。
また、域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[18]。
世代と性別 |
犠牲者 |
死亡率 |
当時の人口
|
男性 |
71 |
31.84% |
223
|
女性 |
108 |
44.44% |
243
|
15歳未満 |
27 |
55.10% |
49
|
15 - 64歳 |
68 |
24.55% |
277
|
65歳以上 |
84 |
60.00% |
140
|
合計 |
179 |
38.41% |
466
|
ちなみに、この38.41%という死亡率は概ね5人に2人が犠牲となったことになり、東日本大震災の被災地全体において、国勢調査の集計単位地区別では最悪の死亡率となった(2位は福島県相馬市磯部字芹谷地の28.13%)。1960年のチリ地震津波では、釜谷地区に津波が到達しなかったため、宮城県の作成した宮城県沖地震の津波の到達する可能性が低いとされ、域内の住民の中では、「ここまで(津波が)来るとは誰も思わなかった」という声が多く、津波に対する危機意識が欠けていたことが被害が深刻になったことの一因とされる[19]。
また、小字の犠牲者・死亡率は以下の通りである[20]。
小字 |
犠牲者 |
死亡率 |
当時の人口 |
昼間人口 |
昼間人口に対する死亡率
|
韮島 |
105 |
47.3% |
222 |
173 |
60.7%
|
新町裏 |
49 |
44.6% |
110 |
86 |
57.0%
|
谷地中 |
21 |
43.8% |
48 |
37 |
56.8%
|
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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| 石巻本庁 |
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河北総合支所 | |
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雄勝総合支所 | |
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河南総合支所 | |
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桃生総合支所 | |
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北上総合支所 | |
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牡鹿総合支所 | |
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注 | |
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