近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 2016年7月24日[1])は、日本の作家、エッセイスト。旧名:水島富枝[2]。夫は軍事史研究家の土門周平[3]。
略歴
東京府東京市日本橋区矢ノ倉町(現:東京都中央区東日本橋一丁目)の袋物問屋に生まれる。1929年に、父の破産で一家離散となり、一人で父方の祖父母の家にひきとられ[4]、東京市田端で育つ[5]。祖父・水島辨治郎は、日本橋の金襖問屋・増見屋の8代目水島三右衛門の次男だった[6]。
東洋高等女学校卒業[7]。東京女子大学国語専攻部に在学中に演劇に熱中し、1942年新劇団「芸術小劇場」(北村喜八・村瀬幸子が主催)の研究生、のち文学座の研究生となる[7]。1943年に大学卒業後、文部省教学局国語課勤務。1944年から、日本放送協会でアナウンサーとして1年余勤務。
1946年、田端での家作の元住人で、元軍人の近藤新治(のち、軍事史研究家となり筆名土門周平となる)と結婚。以後約20年の主婦生活をおくる。1963年「週刊朝日」のルポに『私の八月十五日』が特選となるなど、各雑誌に入選多数で、主婦の友社の専属ルポライターとなり[5]、文筆業に入る。
初めは明治・大正の文学者について調査研究を行い、その後は着物や布についてのエッセイが多い。『宵待草殺人事件』『鹿鳴館殺人事件』というミステリ作品も発表。『矢田津世子全集』の編纂も行なった。1981年、NHK連続テレビ小説『本日も晴天なり』の主人公のモデルとなる。1986年から1993年にかけて、武蔵野女子大学で教鞭を執った。
財団法人民族衣裳文化普及協会理事、王朝継ぎ紙研究会を主宰。
2016年7月25日、老衰のため逝去。93歳没[8]。
親族・交友
娘の近藤陽子は、講談社の編集者から「王朝継ぎ紙研究会」に参加して講師をつとめる[9]。息子は著書「アップル操縦法入門」を執筆するなどAppleの日本での勃興時にかかわった近藤龍太郎[10]。Appleを初期に扱う代理店であったESD社の社長の水島敏雄は、近藤の弟で、龍太郎にとっては叔父にあたる[11]。
作家の森まゆみは姪[12]。武蔵野大学大学院言語文化研究科教授の堀井惠子も姪[13]。化学者の水島三一郎は生家である水島家の本家当主だった[14]。水島恭愛(ハクビ京都きもの学院理事長・民族衣裳文化普及協会会長)は従兄弟[15]。また、近藤の叔母(父親の妹)の延子は、本郷菊富士ホテル経営者・羽根田幸之助の長男・羽根田冨士雄の妻。
作家の瀬戸内寂聴は東京女子大学時代からの友人。作家の阿刀田高の姉(阿刀田稔子)とも東京女子大学の同級生で友人であった[16]。
受賞
- 1983年 日本文芸大賞(第3回女流文学賞)「本郷菊富士ホテル」
- 1999年 北区区民文化賞
著書
共編著
テレビ出演
脚注
外部リンク