谷口 春治(たにぐち はるじ、1892年(明治25年)1月2日 - 1978年(昭和53年)12月14日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級
経歴
1892年(明治25年)に福井県で生まれた。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業。1938年(昭和13年)3月1日に野砲兵第10連隊長に就任し、7月15日に 陸軍砲兵大佐に進級した。野砲兵第10連隊長として日中戦争に出動し、徐州会戦、武漢作戦に参加。1939年(昭和14年)に留守第2師団参謀長を経て、1940年(昭和15年)に第52師団参謀長に就任。
1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級し、1943年(昭和18年)に東部軍砲兵隊長に就任。1944年(昭和19年)に砲兵監兼大本営陸軍幕僚附に就任し[4]、1945年(昭和20年)3月1日に陸軍中将に進級。3月19日に本土決戦用主力師団である第44師団長に親補され、茨城県小川に展開した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
参考文献