西山 完瑛(にしやま かんえい、天保5年(1834年) - 明治30年(1897年)8月12日)は、日本の江戸時代末期から明治時代中期に活動した絵師、日本画家。名は謙、字は子受、完瑛は号で、俗称は謙一郎。
略歴
絵師・西山芳園の子として大坂で生まれる。幼少から父に絵を習い、また後藤松陰の私塾・広業館で儒学を学ぶ。一時、明石藩に出仕し明石樽屋町に住んで禄を得たが、廃藩置県で致仕し北浜に居を構える。明治17年(1884年)設立の浪華画学校には当初参加してなかったものの、翌年病弱だった狩野永祥の代わりに教授の任に就いたとされるが、具体的な期間や関与、授業内容などは不明。人物・花鳥・山水を得意としたとされ、絹本著色の細密画に優品が多く、画帖形式のものや芳園が殆ど描かなかった美人画も散見される。父の師・松村景文に回帰する対角線構図を上手く用いた花鳥画や、長沢芦雪の作品を模写したものもある[2]。明治30年(1897年)没、享年64。墓は父と同じ大阪市北区東寺町(現与力町)の善導寺。弟子に、望月金鳳、武部白鳳、山本永暉など。
作品
作品名 |
技法 |
形状・員数 |
寸法(縦x横cm) |
所有者 |
年代 |
落款 |
印章 |
備考
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浪華二十四景 |
著色 |
24図 |
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大阪歴史博物館 |
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納涼船遊図 |
著色 |
1幅 |
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大阪歴史博物館 |
明治時代 |
完瑛 |
白文方印・朱文方印 |
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浪華名所画帖 |
絹本著色 |
1帖8図 |
16.9x21.2(各) |
泉屋博古館 |
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完瑛 |
「謙印」白文方印・「子受」朱文方印 |
讃は本為山、岸田素屋、二畳庵桃兮、樫斎弘美、内海良大、五木庵潮水、老鼠堂永機、八木芹舎ら幕末明治期の俳人8人の寄せ合い書きで、賛者で跋文も書いている二畳庵桃兮の注文[3]。
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浪華旧名勝図 |
絹本墨画著色 |
2帖各15図 |
21.2x18.0(各) |
大阪中之島美術館[4] |
明治時代 |
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四季花鳥図 |
紙本著色 |
衝立1基 |
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白鹿記念酒造博物館 |
1869年(明治2年) |
完瑛 |
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浪華天保山図 |
絹本著色 |
1幅 |
38.6x75.0 |
個人 |
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和美人 |
絹本著色 |
1幅 |
128.0x49.2 |
個人 |
1890年(明治23年) |
完瑛 |
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雨中白鷺図 |
絹本著色 |
1幅 |
146.5x85.4 |
ボストン美術館[5] |
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完瑛 |
朱文方印・白文方印 |
ボストン美術館は合作1点を含む合計11点の完瑛作品を所蔵
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浪華風俗図巻 |
紙本著色 |
1巻 |
31.5x427.4 |
大英博物館[6] |
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脚注
参考文献