西垣 一(にしがき まこと、1935年9月25日 - 2009年5月23日[1])は、京都府宇治市[2]出身のプロ野球選手(投手)・監督。
経歴
城南高校では、1953年夏の甲子園府予選準決勝に進むが西舞鶴高に惜敗、京滋大会には進めなかった。卒業後の1954年に大阪タイガースへ入団[3]する。3年目の1956年には、読売ジャイアンツを相手に6月19日に初登板、初先発を果たす。4回1/3を無失点と好投するが、白星はつかなかった。その後は登板機会がなく、1957年限りで退団[3]。
退団後は1958年に日本新薬へ入社し、野球部では長谷部栄一選手兼任監督の下、投手ではなく外野手としてプレー[2]。1973年から1981年には監督を務め、1974年・1979年・1980年と3度の都市対抗出場に導き[2]、吹石徳一を送り出した。退任後は社業に専念。1997年からは創部されたニチダイの顧問となり、2002年から2003年には監督を務め[2]、後任監督となる桑野議がコーチとして入部している。
2009年5月23日に肺炎のため死去[2]。73歳没。
詳細情報
年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目
外部リンク