西原 八三郎(にしはら やさぶろう、1890年(明治23年)5月15日 - 1969年(昭和44年)9月10日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
1890年(明治23年)に愛媛県で生まれた。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第35期卒業。1935年(昭和10年)3月15日に陸軍築城部部員に就任し、8月1日に陸軍工兵大佐に進級した。1937年(昭和12年)8月には電信第2連隊長に転じた。
1938年(昭和13年)7月15日に陸軍少将に進級し、長崎要塞司令官に着任。1939年(昭和14年)3月9日に待命、3月22日に予備役に編入された。1942年(昭和17年)3月25日に召集され第4工兵隊司令官(第17軍)に就任し、ソロモン諸島方面に出征。1943年(昭和18年)6月10日に召集解除となった。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
- 勲章等
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献