袁 鴻祐(えん こうゆう)は、清末の政治家。字は樵蓀[2]。
事績
清朝最末期の新疆巡撫袁大化の下でカシュガル道台を務めた。1912年(民国元年)、袁大化は北京政府から新疆都督に任命された。しかし、イリ革命党の蜂起により省内を統制できず、同年4月、袁大化は袁鴻祐を後任の都督に推薦した。ところが袁鴻祐は、正式着任前の5月7日に哥老会の刺客により暗殺されてしまう。袁大化は、新疆提法使楊増新を代わりに推薦すると、新疆から逃亡した[3]。
脚注
- ^ 『新疆文史資料精選』第4辑、新疆人民出版社、1998年、28頁。
- ^ a b 銭実甫編『北洋政府職官年表』華東師範大学出版社、1991年。
- ^ 陳(2000)、114頁。
参考文献