蜂須賀 隆重(はちすか たかしげ)は、阿波富田藩の初代藩主。
生涯
正保元年(1644年)5月7日父忠英の願い出により、徳川家綱の小姓になる。同年5月11日、将軍徳川家光に御目見する。慶安4年(1651年)8月16日、従五位下飛騨守に叙任する。明暦3年(1657年)3月15日、幕府の詰衆に列し、蔵米3000俵を賜る。
寛文6年(1666年)、幕府から若年の徳島藩主蜂須賀綱通の補佐を命じられる。寛文12年(1672年)9月28日、補佐を辞職する。
延宝6年(1678年)10月7日、幕府から若年であった徳島藩主蜂須賀綱矩の補佐を命じられる。元禄4年(1691年)閏8月28日、補佐を辞職する。
延宝6年10月19日、綱矩から阿波・淡路国などに5万石を分与され、支藩である富田藩を立藩する。なお、蔵米3000俵は返上している。同延宝6年11月8日、詰衆を退任する。
元禄元年(1688年)4月14日、雁間詰となる。以後、代々の当主は雁間詰となる。
宝永2年12月26日(1706年1月)に隠居し、養子の隆長に家督を譲る。以後、寛楽と号する。
宝永4年(1707年)8月24日に死去、74歳。
墓所は東京都台東区松が谷の海禅寺。正室は横浜市戸塚区の盛徳寺に眠る。
系譜
関連項目
参考文献
脚注
- ^ 吉良は元禄11年(1698年)9月6日の江戸の大火により鍛冶橋邸を焼失した為、呉服橋に屋敷を再建した。
- ^ 宮澤誠一『赤穂浪士―紡ぎ出される「忠臣蔵」』 1999年。93-95p。
蜂須賀氏 阿波富田藩初代藩主 (1678年 - 1707年) |
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