蕭 方矩(しょう ほうく、? - 554年)は、南朝梁の皇太子。愍懐太子。字は徳規。
経歴
湘東王蕭繹の四男として生まれた。母は袁貴人。はじめ南安県侯に封じられた、父の蕭繹に従って江陵に下向した。太清元年(547年)、使持節・都督湘郢桂寧成合羅七州諸軍事・鎮南将軍・湘州刺史となった。太清2年(548年)、侍中・中衛将軍として召された。蕭繹が承制すると、方矩は王太子に立てられて、元良と改名した。承聖元年(552年)11月己卯、皇太子に立てられた。
承聖3年(554年)、西魏軍が江陵を陥落させると、方矩は元帝とともに殺害された。
方矩は聡明だったが、父に似て凶暴で猜疑深かった。弟の敬帝蕭方智が承制すると、愍懐太子と追諡された。
伝記資料
- 『梁書』巻8 列伝第2
- 『南史』巻54 列伝第44