葉山 富之輔(はやま とみのすけ、1889年7月31日 - 1958年10月19日[1])は、日本の俳優である[2][3][4][5]。本名白米花 富三郎(しらはせ とみさぶろう)[2][4]。
人物・来歴
1889年(明治22年)7月31日、京都府京都市に生まれる[2][4]。
旧制・高等小学校を卒業したのち、家事を手伝っていた[2]。1900年代には、そのうち演劇を志して、角藤定憲門下に入門する[2]。新派畑を歩み、藤間小次郎の一座、帝国キネマ演芸の「実演第一劇団」、村田栄子の一座等で関西地区を巡業した[2]。
1926年(大正15年)2月、日活大将軍撮影所現代劇部に入社、同年11月12日に公開された、佐藤円治主演、三枝源次郎監督の『勇敢なる水兵』で佐藤の父親役を演じ、満37歳で映画界にデビューした[2]。以降、現代劇部から時代劇部に移り、多くの剣戟映画に出演した[2]。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、日活京都撮影所は大映京都撮影所となり、葉山は同社に継続入社する[2][3]。
第二次世界大戦後も引き続き同撮影所に所属、1949年(昭和24年)に定年退職する[2]。その後は、フリーランスとして、同撮影所を拠点として多くの京都地区で製作される時代劇に出演した[2][3][4]。1958年(昭和33年)、満69歳で引退した[2][3][4]。『日本映画俳優全集・男優編』によれば、『勇み肌千両男』(監督倉橋良介)を最後に引退した旨の記述があるが[2]、同作の公開日は同年2月26日であり、同年8月3日に公開された酒井辰雄監督の『呪いの笛』のほうが、公開日は遅い[3][4]。以降の出演記録は無く、『日本映画俳優全集・男優編』(同項の執筆田中純一郎、キネマ旬報社)は以降の消息不明、没年不詳とする[2]が、『京都芸術家国民健康保険組合30周年史 第1巻』(京都芸術家国民健康保険組合)において、同年10月19日に死去したという旨が記されている[1]。満69歳没。
フィルモグラフィ
すべてクレジットは「出演」である[3][4][5]。役名のわかるものは公開日の右側に記し[3][4][5]、東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[6]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。
日活京都撮影所
特筆以外すべて製作は「日活京都撮影所」「日活大将軍撮影所」あるいは「日活太秦撮影所」、配給は「日活」である[3][5]。
- 日活大将軍撮影所
- 『勇敢なる水兵』 : 監督三枝源次郎、1926年11月12日公開 - 佐藤愛吉[2]
- 『拳骨先生』 : 監督三枝源次郎、1927年5月15日公開 - 博徒・砂川銀蔵[2][5]
- 『浮世車』 : 監督伊奈精一、1927年7月1日公開 - 田口徳兵衛[5]
- 『熱血児』 : 監督三枝源次郎、1927年8月24日公開 - その乾分
- 『建国史 尊王攘夷』 : 監督池田富保、製作日活太秦撮影所、配給日活、1927年10月1日公開 - 秋葉の権次、現存
- 『魔の沼』 : 監督木藤茂、1927年11月18日公開 - 雇人
- 『老校長』 : 監督木藤茂、1927年12月1日公開 - 豪家
- 『二階の大将』 : 監督伊奈精一、1927年製作 - 岩戸権造(主演)[5]
- 『天惠』 : 監督三枝源次郎、1928年2月9日公開[5]
- 『意気衝天』 : 監督三枝源次郎、1928年6月8日公開 - その父
- 『笑はぬ良人』 : 監督三枝源次郎、1928年8月26日公開 - その父
- 日活太秦撮影所
- 日活京都撮影所
- 『白浪五人男』 : 監督荒井良平、1938年1月7日公開 - 居酒屋亭主
- 『無法者銀平』 : 監督稲垣浩、1938年1月14日公開 - 盤太夫
- 『旅の風来坊』 : 監督尾崎純、1938年2月8日公開 - 茶店の親爺[5]
- 『忠臣蔵 地の巻』 : 監督池田富保、1938年3月31日公開 - 浅野家老 藤井又左衛門、現存(NFC所蔵[6])
- 『忠臣蔵 天の巻』 : 監督マキノ正博、1938年3月31日公開 - 浅野家老 藤井又左衛門、現存(NFC所蔵[6])
- 『次郎長一家』 : 監督松田定次、1938年5月21日公開 - 館林の玉吉
- 『出世太閤記』 : 監督稲垣浩、1938年6月17日公開 - 大工の棟梁、現存[9]
- 『腰本吉弥組』 : 監督菅沼完二、1938年6月23日公開 - 原武右衛門
- 『三味線やくざ』 : 監督衣笠十四三、1938年7月1日公開 - 太夫元善六
- 『髑髏銭 前篇 風の巻』 : 監督辻吉朗、1938年7月31日公開 - 了雲、98分の総集篇が現存[10]
- 『髑髏銭 後篇 雲の巻』 : 監督辻吉朗、1938年8月10日公開 - 了雲、98分の総集篇が現存[11]
- 『浪人鉄火』 : 監督倉谷勇、1938年9月22日公開 - 家老・渥美但馬[5]
- 『鞍馬天狗 竜攘虎搏の巻』 : 監督松田定次、1938年11月1日公開 - 三条屋弥兵衛、現存(NFC所蔵[6])
- 『赤垣源蔵』(『戦後改題『忠臣蔵 赤垣源蔵 討入り前夜』) : 監督池田富保、1938年11月17日公開 - 小野寺十内、現存[5]
- 『荒獅子』 : 監督松田定次、1938年12月15日公開 - 岡野匠左衛門[5]、現存[12]
- 『魔像』(『大岡政談 魔像』) : 監督稲垣浩、1938年12月31日公開 - 近藤相模守
大映京都撮影所
特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、配給は「大映」である[3]。
- 『維新の曲』 : 監督牛原虚彦、配給映画配給社、1942年5月14日公開 - 小松帯刀、現存(NFC所蔵[6])
- 『独眼龍政宗』 : 監督稲垣浩、製作大映京都第一撮影所、配給映画配給社、1942年7月2日公開、現存(NFC所蔵[6])
- 『伊賀の水月』 : 監督池田富保、配給映画配給社、1942年8月13日公開 - 鍵屋の亭主
- 『二刀流開眼』 : 監督伊藤大輔、製作大映京都第一撮影所、配給映画配給社、1943年5月13日公開 - 甲兵衛、現存(NFC所蔵[6])
- 『無法松の一生』 : 監督稲垣浩、配給映画配給社、1943年10月28日公開 - 町の古老
- 『高田馬場前後』 : 監督松田定次、配給映画配給社、1944年6月22日公開 - 高橋金右衛門
- 『小太刀を使ふ女』 : 監督丸根賛太郎、配給映画配給社、1944年8月3日公開 - 老人、現存(NFC所蔵[6])
- 『殴られたお殿様』 : 監督丸根賛太郎、1946年3月21日公開 - 宇佐美三太夫
- 『扉を開く女』 : 監督木村恵吾、1946年4月25日公開 - 高野家の客
- 『飛ぶ唄』 : 監督菅英雄、1946年6月20日公開 - 大林
- 『お夏清十郎』 : 監督木村恵吾、1946年7月11日公開 - 惣右衛門
- 『国定忠治』 : 監督松田定次、1946年9月10日公開 - 百姓喜右衛門
- 『滝の白糸』 : 監督木村恵吾、1946年10月1日公開 - 太夫元木島
- 『槍おどり五十三次』 : 監督森一生、1946年11月26日公開 - 喜惣次[16]、現存(NFC所蔵[6])
- 『銭形平次』 : 監督森一生、1951年4月28日公開 - 石原ノ利助、現存(NFC所蔵[6])
- 『上州鴉』 : 監督冬島泰三、1951年5月25日公開 - 伊左衛門
- 『逢魔が辻の決闘』 : 監督森一生、1951年9月14日公開 - ますや喜兵衛
- 『大江戸五人男』 : 監督伊藤大輔、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1951年11月22日公開 - 山村佐兵衛[21]、現存(NFC所蔵[6])
- 『十六夜街道』 : 監督安田公義、1951年12月14日公開 - 仙吉老人
- 『銭形平次捕物控 からくり屋敷』 : 監督森一生、1953年1月3日公開 - 大工辰三郎[26]、現存(NFC所蔵[6])
- 『旅はそよ風』 : 監督稲垣浩、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1953年5月7日公開 - 老役人
- 『怪談佐賀屋敷』 : 監督荒井良平、1953年9月3日公開 - 御典医卜庵
- 『巣鴨の母』 : 監督安達伸生、1952年10月16日公開 - 犬塚
- 『山を守る兄弟』 : 監督松田定次、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1953年10月27日公開 - 宿屋の亭主B
- 『地獄門』 : 監督衣笠貞之助、1953年10月31日公開 - 物売り[27]、現存(NFC所蔵[6])
- 『鞍馬天狗 斬り込む』 : 監督安達伸生、製作宝塚映画製作所、配給東宝、1953年12月29日公開 - そばや源八
- 『お菊と播磨』 : 監督伊藤大輔、1954年3月3日公開 - 徳川家康、現存(NFC所蔵[6])
- 『山椒大夫』 : 監督溝口健二、1954年3月31日公開 - 老僧
- 『酔いどれ二刀流』 : 監督森一生、1954年4月7日公開 - 下僕の老爺[28]、現存(NFC所蔵[6])
- 『関八州勢揃い』 : 監督安田公義、製作・配給新東宝、1954年7月6日公開 - お光の父吾作
- 『水戸黄門漫遊記 地獄極楽大騒ぎ』 : 監督伊賀山正徳、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年8月24日公開 - 狂乱の老人
- 『赤穂義士』 : 監督荒井良平、1954年9月15日公開 - 堀部弥兵衛
- 『千姫』 : 監督木村恵吾、1954年10月20日公開 - 天海僧正
- 『潮来出島 美男剣法』 : 監督安田公義、1954年12月22日公開 - 兼吉
- 『りんどう鴉』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年1月15日公開 - 村人二
- 『いとはん物語』 : 監督伊藤大輔、製作大映東京撮影所、配給大映、1957年1月15日公開 - 彦兵衛、現存(NFC所蔵[6])
- 『旗本退屈男 謎の紅蓮塔』 : 監督松田定次、製作東映京都撮影所、配給東映、1957年1月15日公開 - 甚助
- 『朱雀門』 : 監督森一生、1957年3月20日公開 - 雲林院住職、現存(NFC所蔵[6])
- 『続二等兵物語 決戦体制の巻』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年3月26日公開 - 笑子の父
- 『伴淳・アチャコ・夢声の活弁物語』 : 監督福田晴一、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1957年8月25日公開 - 吉岡紫朗
- 『勇み肌千両男』 : 監督倉橋良介、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1958年2月26日公開 - 三河屋喜右衛門
- 『呪いの笛』 : 監督酒井辰雄、製作歌舞伎座、配給松竹、1958年8月3日公開 - 按摩
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク