茂木城(もてぎじょう)は、栃木県芳賀郡茂木町にあった中世の日本の城。宇都宮氏の支族であった茂木氏の居城であった。
歴史・沿革
1180年(治承4年)宇都宮宗綱の次男・八田知家は源頼朝の蜂起に際の勲功によって、頼朝より茂木保の地頭職に補任される[1]。
1192年(建久3年)に知家は三男・知基に地頭職を譲り茂木氏を名乗らせた。その茂木知基によって、建久年間(1190年 - 1199年)に築城される[1]。
1556年に佐竹氏に攻められ茂木氏はこれに臣従、以後佐竹氏の影響下に入る[要出典]。
1585年(天正13年)には天谷場の合戦で北条氏・結城氏らの連合軍によって1度は城を落とされているが、佐竹氏の援軍を得て奪回している[1]。
1594年(文禄3年)に佐竹義重の命によって茂木氏16代・茂木治良は小川城へと移り、茂木氏の支配が終わる[1]。
1595年(文禄4年)に佐竹氏に属する須田治則が城主となる[1]。
1610年(慶長15年)に佐竹氏が秋田に移封となり、代わって細川興元が茂木に入り、城下に陣屋を設けたため廃城となった[2]。
現在の状況
現在の茂木城跡は城山公園となっていて、曲輪・土塁・空堀が見られる。また、斜面の木々は間伐されており、良好な形状で保たれている。
構造
茂木城は山城である。
脚注
関連項目