初代若尾 幾造(わかお いくぞう、1829年[注 1](文政12年12月[1])- 1896年(明治29年)10月10日[1][2])は、幕末から明治期の実業家。
経歴
甲斐国巨摩郡在家塚村(のち山梨県中巨摩郡在家塚村、現南アルプス市在家塚)で、若尾林右衛門の息子として生まれる[2]。分家して農業に従事した[2]。
商業に興味がなかったが、異母兄若尾逸平の熱心な勧誘を受け、安政6年(1859年)横浜に出て生糸売込業、綿花・水晶・砂糖の取引業に従事[1][2][3]。1875年[1][注 2]、兄弟で財産を分割して、横浜本町で生糸売込業を開業した[1][3]。1880年、横浜商法会議所設立に伴い初代常議員となり[1]、1893年、若尾銀行を設立して頭取となった[3]。
親族
旧姓による表記
- 尊属血族
- 異母兄
- 長男
- 長女
- 若尾幾久 - 長女
- (婚族)細田民造 - 若尾逸平の養子
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『日本人名大辞典』2073頁。
- ^ a b c d 『財界物故傑物傳』下巻、635頁。
- ^ a b c 『神奈川県百科事典』[本編]、924頁。
- ^ a b 『財界物故傑物傳』下巻、636-637頁。
- ^ 『甲州財閥物語 新編』120頁。
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年、298頁。
参考文献
- 上田正昭他監修『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 神奈川県百科事典刊行会編『神奈川県百科事典』[本編] 大和書房、1983年。
- 実業之世界社編輯局編『財界物故傑物傳』下巻、実業之世界社、1936年。
関連項目