興古郡(こうこ-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。三国時代から唐代にかけて、現在の雲南省南東部に設置された。
概要
225年(建興3年)、蜀漢の諸葛亮の上書により建寧郡と牂牁郡が分割されて、興古郡が立てられた[1]。興古郡は益州に属し、郡治は宛温県に置かれた。
271年(晋の泰始7年)、寧州が立てられると、興古郡は寧州に転属した。晋の興古郡は律高・句町・宛温・漏臥・毋棳・賁古・勝休・鐔封・漢興・進桑・都夢の11県を管轄した[2]。
南朝宋のとき、興古郡は漏臥・宛暖・律高・西安・句町・南興の6県を管轄した[3]。
南朝斉のとき、興古郡は西中・宛暖・律高・句町・漏臥・南興の6県を管轄した[4]。
南朝梁のとき、興古郡は廃止された。
脚注
- ^ 『三国志』蜀書後主伝
- ^ 『晋書』地理志上
- ^ 『宋書』州郡志四
- ^ 『南斉書』州郡志下