腰掛稲荷神社(こしかけいなりじんじゃ)は、東京都文京区の神社。
歴史
創建年代は不明である。江戸時代初期は護国寺もなく、辺りを見渡せる見晴らしの良い場所で、座るのに丁度良い大木の切株もあった。ある日、江戸幕府初代将軍徳川家康か第3代将軍徳川家光が鷹狩に当地を訪れ、この切株に腰掛けて、景色を絶賛した。そして稲荷の小祠を拝して立ち去ったという。幕府は、この場所が「将軍の縁の地」となったことから、切株を竹矢来で囲み、不敬行為を防いだという[1]。
その後、切株は完全に朽ち果ててしまった。そのため近隣の村人が、この由来を後世に伝えるべく、稲荷の小祠を「腰掛稲荷神社」として整備した。その頃は修験道当山派の修験者が管理していた[1]。
1931年(昭和6年)に専任神職を置き、社務所を設けた。この社務所は松岡映丘の画室を移築したものである[1]。
交通アクセス
氏子地域
- 文京区目白台一丁目5~18・19(一部)、二丁目3~9、三丁目1~3・4(一部)・5・6(一部)・7(一部)・18~28
脚注
- ^ a b c 内海一紀 編『文京区神社誌』文京区神社総代会、1988年、56-58p,443-444p
参考文献
- 内海一紀 編『文京区神社誌』文京区神社総代会、1988年