背奈 行文(せな の ゆきふみ)は、奈良時代の貴族・歌人。姓は公(キミ)のち王(コニキシ)。高句麗系渡来人である背奈福徳の子[2]。官位は従五位下・大学助。
経歴
高句麗系渡来人を集めて霊亀2年(716年)に新設された武蔵国高麗郡[3]に居住していたが、のちに上洛して学問を生かして朝廷に仕えた[2]。養老5年(721年)正七位上・明経第二博士のとき、学業優秀として賞された[4]。神亀4年(727年)正六位上から従五位下に昇叙される[5]。
消奈行文大夫(せなのぎょうもんのまへつきみ)の名で、『万葉集』に1首と『懐風藻』に五言詩を2首残している。
和歌作品
- 奈良山の 児の手柏の 両面に かにもかくにも 佞人の徒 (『万葉集』(巻16-3836))
脚注
- ^ 『懐風藻』
- ^ a b c 『続日本紀』延暦8年10月17日条
- ^ 『続日本紀』霊亀2年5月16日条
- ^ 『続日本紀』養老5年正月27日条
- ^ 『続日本紀』神亀4年12月20日条
参考文献
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年