織田 秀一(おだ ひでひと/ひでかず)は、江戸時代前期の大名。大和国柳本藩3代藩主。通称は源十郎。官位は従五位下・信濃守。尚長流織田家3代。
生涯
2代藩主・織田長種の長男として誕生。初名は長盛。
寛永20年(1643年)12月7日、父・長種の死去により家督を相続した。寛永21年(1644年)11月13日、3代将軍・徳川家光に御目見する。正保3年(1646年)6月2日、神田橋石普請の助役を命じられる。万治3年(1660年)4月19日、藩主として初めてお国入りする許可を得る。寛文元年(1661年)12月28日、従五位下信濃守に叙任する。
寛文6年(1666年)5月13日、丹後国宮津藩主・京極高国の改易にあたって、家臣を派遣し、領内の巡視にあたることを命じられる。寛文7年(1667年)、駿府加番を命じられた。延宝4年(1676年)、近江国水口城在番を命じられた。
貞享4年(1687年)8月3日、死去。享年49。墓所は祥雲寺。法号は円常院殿梅嶺指月居士。
なお、『土芥寇讎記』には「秀一ハ才智発明ニシテ、武道ヲ嗜ミ、行跡正シク、家士ヲ憐ミ、民ニ恵ミテ、仕置穏順ニシテ、家民豊カナリシ」とあり、大名としての評価は良い。
系譜
子女は2男。
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織田氏 (平姓) | |
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伊勢守家 | |
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大和守家 | |
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因幡守家 | |
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藤左衛門家 | |
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弾正忠家 | |
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信長流 |
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信勝流 |
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信包流 |
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信治流 |
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長益流 |
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柳本藩3代藩主 (1643年 - 1687年) |
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- 尚長1615-1637
- 長種1637-1643
- 秀一1643-1687
- 秀親1687-1709
- 成純1709-1724
- 秀行1724-1726
- 信方1726-1741
- 秀賢1741-1763
- 長恒1763-1766
- 秀綿1766-1806
- 信陽1806-1857
- 信成1857-1868
- 信及1868-1871
- 廃藩置県
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