織田 信門(おだ のぶかど)は、江戸時代前期から中期にかけての高家旗本。官位は従五位下・侍従、美作守、従四位下・左少将、従四位上・能登守。
生涯
寛文2年(1662年)、旗本・織田一之の嫡男として誕生。貞享4年(1687年)7月10日、父・一之の隠居により家督を相続する。弟・高元に500石を分知した結果、家領は近江国神崎郡内1514石余りとなる。
元禄元年(1688年)11月25日、高家旗本となる。以後、幕末まで織田家は高家旗本として幕府に仕えた。元禄2年(1689年)1月11日、高家職に就任する。従五位下侍従・美作守に叙任し、後に従四位上に昇進する。宝永3年(1706年)9月、高家肝煎。宝永7年(1710年)12月1日、安房国朝夷郡500石を加増される。
正徳6年(1716年)6月1日、死去。享年55。
なお、安土(現・近江八幡市安土町)の摠見寺に織田信長愛用とされる鐔を奉納している。表と裏に永楽銭が彫刻され、重要文化財に指定されている。
系譜
脚注
- ^ 堺奉行23代
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織田氏 (平姓) | |
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伊勢守家 | |
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大和守家 | |
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因幡守家 | |
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藤左衛門家 | |
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弾正忠家 | |
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信長流 |
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信勝流 |
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信包流 |
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信治流 |
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長益流 |
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