紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 -)は、日本の文芸・メディア評論家・翻訳家・小説家。
日本文芸家協会、日本ペンクラブ、各会員[1]。
本名は佐藤 俊(さとう たかし)[2]。ペンネームの「紀田」はきだみのるから、「順一郎」は谷崎潤一郎に由来している。
書誌研究を中心に、半世紀以上にわたり『古書街を歩く』、『日記の虚実』、『二十世紀を騒がせた本』などメディア論、近代史論などを数多く刊行。古書をテーマとした推理小説、幻想文学作品も著した。
神奈川県横浜市中区生まれ。横浜国立大学神奈川師範学校横浜中学校から慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒。
横浜の本牧・千代崎町で出生、父は日本銀行の行員。1941年に父が結核となり、暗い家庭となる。腺病質で体が弱かったため、本の世界に楽しみを見出していた。集団疎開の苦しみから、1945年1月の父の死去で逃れる。その後、縁故疎開して終戦を迎える。1948年、横浜国立大学神奈川師範学校横浜中学校(現・横浜国立大学教育学部附属横浜中学校)に入学。担任となった女性教師の影響で、純文学に親しむようになる。
1951年、慶應義塾高等学校入学。文学全集を読み耽るが、一方で1953年に創刊された早川書房「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」の影響で、探偵小説にも熱中するようになる。また、「映画芸術研究会」で大伴昌司と知り合う。
1954年、慶應義塾大学経済学部に進学。紀田らの入学2年前に仮結成されていたものを、田村良宏(後のSRの会会長、筆名河田陸村)らが本格立ち上げした慶應義塾大学推理小説同好会(木々高太郎を会長)に、やはり大伴と共に参加。草森紳一や川村尚敬らと知り合う。
1957年、田村良宏の薦めでSRの会に入会し『SRマンスリー』に新刊推理小説評を連載。
1958年に大学卒業後は、商社に勤務する。
1961年に大伴、桂千穂らとともに、「SRの会東京支部」を創設。1963年にはやはり大伴、桂と「恐怖文学セミナー」を結成し、同人誌「ホラー」を発行。同会には同人に荒俣宏がいた。また、永井荷風と仲たがいして、文壇を干されていた平井呈一を訪問し知己となり、「恐怖文学セミナー」の顧問就任を依頼。その後、平井には怪奇幻想文学の翻訳をしばしば依頼した。また、『宝石』などを舞台に推理小説などの評論研究を発表。
初期のSFにもコミットしており、1962年には多くのSF関係者を輩出した「一の日会」の前身となる「SFマガジン同好会」を志摩四朗と創設(紀田は副会長)、志摩とともに同人誌「宇宙気流」を創刊(しかし、この活動には大伴は参加していない。SFファンダムの創始者であった柴野拓美は、大伴とそりが合わなかったと語っている[3])。だが、紀田は早々に「SFマガジン同好会」への関与をやめ、SF関連の著述・関与をしなくなった。
1964年に退社し、近代史を中心とする評論活動を専業とする。
執筆活動では、漸次、読書論、古書論、出版情報論、国語国字問題に軸足を移行する。また、執筆活動にワープロ、パソコンを導入したのも早く、パソコンを利用したデータベース論も発表している。
また、映画マニアでもあり、1970年代には8ミリや16ミリの映画フィルムを多数コレクション。関連書を執筆し、コレクター団体「映画コレクター連盟」を組織した。
1974年には、島崎博、権田萬治らと、日本大衆文学会を創設。機関紙「大衆文学論叢」を創刊。
また、1984年の著書『知の職人たち』で、塙保己一、吉田東伍、石井研堂、大槻文彦、斎藤秀三郎、日置昌一、新村出等の、破格の辞典・事典編集者たちを取り上げ、のちの監修本や監修ビデオなどで、彼等の業績を紹介した。
幻想小説、怪奇小説の翻訳も多い。高校生時代の荒俣宏と出会い、のちにコンビで怪奇幻想文学の叢書をいくつも立ち上げる。国書刊行会から刊行された、「世界幻想文学大系」はその記念碑的産物で、カルト出版社としての国書刊行会もこの叢書で決定づけられた(この企画は、あちこちの出版社に持ち込み、ことごとく断られたが、国書刊行会を訪問したところ、社長の即断で刊行が決定したという)。
他にも中島河太郎と『現代怪奇小説集』『現代怪談集成』を、東雅夫と『日本怪奇小説傑作集』を共同監修した。
1982年に、古書の世界を舞台としたミステリー連作中編集『幻書辞典』を発表、作家デビュー、21世紀までミステリー作品を発表している。
1992年に、ジャストシステムのかな漢字変換ソフトウェア「ATOK」の「ATOK監修委員会」の座長を務める[4]。
1993年に、『少年小説大系』(全32巻、小田切進・尾崎秀樹共同監修、三一書房)により、第16回巖谷小波文芸賞受賞。
1997年に、岡山県中部の吉備高原都市に書庫・住居を設け、画家森山知己と紀行文「吉備悠久」を山陽新聞に連載。
1999年、第5回横浜文学賞受賞[5]。
2006年には、財団法人神奈川文学振興会[6]理事長および神奈川近代文学館[7]館長に推挙される(2012年3月まで[8])。
2010年前後は、若きマニア時代の文章をまとめた著書や、少年・青年時代の体験を回顧した著書を多く刊行し、『幻想と怪奇の時代』により2008年、第61回日本推理作家協会賞評論その他の部門受賞。同書を中心とする文学活動に対し、神奈川文化賞を受賞。
2011年に、健康状態その他の理由により、岡山・吉備中央町の書庫・書斎を撤収。2015年には蔵書の処分を行い、その経緯を2017年『蔵書一代』として刊行。
出典:日外アソシエーツ現代人物情報