紀元前562年(きげんぜん562ねん)は、西暦(ローマ暦)による年。紀元前1世紀の共和政ローマ末期以降の古代ローマにおいては、ローマ建国紀元192年として知られていた。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前562年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
できごと
中国
- 魯で三軍が置かれ、三桓氏がおのおの一軍を率いる制度が定められた。
- 鄭の子展(公孫舎之)が軍を率いて宋に侵入した。
- 晋・斉・魯・宋・衛・曹などの連合軍が鄭を攻撃した。鄭の城は包囲され、鄭は講和を求めた。
- 亳の城北で晋を中心とする諸侯の同盟が結ばれた。
- 楚が秦と結んで鄭を攻撃しようとしたが、鄭が再び屈服したため、楚と鄭の軍が宋を攻撃した。
- 晋・斉・魯・宋・衛・曹などの連合軍が再び鄭を攻撃し、諸侯が蕭魚で会合した。
- 秦の庶長鮑と庶長武が晋を攻撃した。櫟で会戦して秦軍が勝利した。
誕生
死去
脚注