米津 常春(よねきつ つねはる)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。徳川家康に仕え、徳川十六神将の一人に数えられる。
生涯
三河国の有力国人松平氏に歴仕した米津勝政の子。自身も13歳より松平氏に仕え、天文18年(1549年)安城合戦では自ら槍を取って勇戦する。その後も徳川家康の部将として、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの前哨戦である丸根砦攻めでは家康の護衛を務めた。以後も家康の三河平定軍に従軍し、永禄6年(1563年)三河一向一揆平定、永禄7年(1564年)宝飯郡赤坂の戦いに従軍。生涯で戦功は18度、一番槍13度、手傷73か所を数え、禄高は3000石を領した。だが若くして目を病み、後年には失明して蟄居した。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでは家康に供奉。慶長17年(1612年)江戸において没。
脚注
参考文献