第37普通科連隊(だいさんじゅうななふつうかれんたい、JGSDF 37th Infantry Regiment)は、大阪府和泉市の信太山駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第3師団隷下の普通科連隊である。警備隊区は大阪府南部、和歌山県全域。
概要
1962年(昭和37年)1月に第7普通科連隊第3大隊を基幹として陸上自衛隊に37番目に編成された普通科連隊である。連隊本部、本部管理中隊、5個普通科中隊、重迫撃砲中隊により編成される。連隊長は1等陸佐(二)が充てられ、信太山駐屯地司令を兼務する。
訓練は主に信太山演習場と饗庭野演習場で実施している。
「菊水連隊」とも称された大日本帝国陸軍の歩兵第37連隊の称号をそのまま継承しており[1]、連隊番号や菊水紋も継承している[2]。
沿革
第7連隊第3大隊
第7普通科連隊第3大隊
- 1954年(昭和29年)7月1日:陸上自衛隊発足により、第7普通科連隊第3大隊に称号変更。
- 1957年(昭和32年)9月2日:富士駐屯地から信太山駐屯地へ移駐。
第37普通科連隊
- 1962年(昭和37年)1月18日:第3管区隊の第3師団への改編に伴い、第7普通科連隊第3大隊を基幹として信太山駐屯地に編成。第3師団隷下に編入。
- 1992年(平成04年)3月27日:第3師団の近代化改編に伴い、自動車化連隊に改編。
- 1994年(平成06年)3月28日:第3対戦車隊の廃止に伴い、対戦車中隊を隷下に新編。普通科中隊に81mm迫撃砲 L16を、120mm迫撃砲 RTが配備。
- 2006年(平成18年)
- 3月26日:対戦車中隊および本部管理中隊管理整備小隊を廃止。
- 3月27日:第3師団の即応近代化師団への改編。
- 対戦車中隊を基幹として第5普通科中隊を新編。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第3後方支援連隊第2整備大隊第3普通科直接支援中隊へ移管。
部隊編成
- 第37普通科連隊本部
- 本部管理中隊「37普-本」
- 第1普通科中隊「37普-1」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第2普通科中隊「37普-2」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第3普通科中隊「37普-3」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第4普通科中隊「37普-4」:高機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 第5普通科中隊「37普-5」:軽装甲機動車、81mm迫撃砲 L16、01式軽対戦車誘導弾
- 重迫撃砲中隊「37普-重」:120mm迫撃砲 RT
整備支援部隊
主要幹部
官職名 |
階級 |
氏名 |
補職発令日 |
前職
|
第37普通科連隊長 兼 信太山駐屯地司令 |
1等陸佐 |
三浦滋 |
2023年03月13日 |
東部方面総監部情報部情報課長
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歴代の第37普通科連隊長
(1等陸佐・信太山駐屯地司令兼補)
代 |
氏名 |
在職期間 |
前職 |
後職
|
01 |
片山正太郎 |
1962年01月18日 - 1965年03月21日 |
第7普通科連隊付 |
第3教育団副団長
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02 |
鬼澤薫 |
1965年03月22日 - 1967年03月15日 |
陸上自衛隊幹部学校付 |
陸上自衛隊幹部学校学校教官
|
03 |
登弘美 |
1967年03月16日 - 1968年11月30日 |
陸上幕僚監部第2部付 |
陸上幕僚監部第5部総括班長
|
04 |
大出一雄 |
1968年12月01日 - 1971年03月15日 |
陸上自衛隊幹部候補生学校勤務 |
陸上自衛隊富士学校 普通科教育部副部長 兼 同校同部教務課長
|
05 |
壹岐安坦 |
1971年03月16日 - 1973年03月15日 |
陸上自衛隊富士学校勤務 |
東部方面総監部第4部長
|
06 |
蔀哲朗 |
1973年03月16日 - 1974年07月15日 |
東北方面総監部募集課長 |
北部方面総監部第1部長
|
07 |
横地光明 |
1974年07月16日 - 1976年03月15日 |
陸上幕僚監部第3部編成班長 |
陸上幕僚監部第4部副部長
|
08 |
曽根輝雄 |
1976年03月16日 - 1978年01月29日 |
陸上自衛隊幹部学校企画室勤務 |
陸上幕僚監部人事部補任課長
|
09 |
平塚宏 |
1978年01月30日 - 1979年07月31日 |
陸上幕僚監部第1部人事班長 |
第8師団司令部幕僚長
|
10 |
山下正夫 |
1979年08月01日 - 1982年03月15日 |
第2陸曹教育隊長 |
自衛隊福井地方連絡部長
|
11 |
金澤孝一 |
1982年03月16日 - 1984年03月15日 |
防衛研修所所員 |
中央資料隊長
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12 |
松田康成 |
1984年03月16日 - 1986年03月31日 |
西部方面総監部防衛部防衛課長 |
統合幕僚会議事務局第3幕僚室 教育訓練班長
|
13 |
加賀田眞 |
1986年08月01日 - 1989年03月15日 |
防衛庁防衛局調査第1課勤務 |
陸上幕僚監部調査部調査第2課長
|
14 |
井上文彦 |
1989年03月16日 - 1991年03月31日 |
陸上幕僚監部調査部調査第2課 調査第1班長 |
中部方面総監部調査部長
|
15 |
渡邊光啓 |
1991年04月01日 - 1993年03月23日 |
中部方面総監部防衛部防衛課長 |
陸上幕僚監部人事部厚生課長
|
16 |
志水民明 |
1993年03月24日 - 1996年03月24日 |
西部方面総監部人事部厚生課長 |
陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長
|
17 |
輪倉昇 |
1996年03月25日 - 1997年06月30日 |
陸上幕僚監部装備部装備計画課 企画班長 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課長
|
18 |
泉一成 |
1997年07月01日 - 1998年06月30日 |
中央資料隊付 |
陸上幕僚監部防衛部防衛課長
|
19 |
三好榮治 |
1998年07月01日 - 2001年03月26日 |
第10師団司令部第3部長 |
中部方面総監部人事部長
|
20 |
宮本修一 |
2001年03月27日 - 2003年07月31日 |
第10師団司令部第3部長 |
防衛大学校訓練部訓練課長
|
21 |
山下純夫 |
2003年08月01日 - 2005年07月31日 |
情報本部勤務 |
情報本部勤務
|
22 |
川原光雄 |
2005年08月01日 - 2007年12月02日 |
陸上幕僚監部監理部総務課監理班長 |
陸上自衛隊研究本部主任研究開発官
|
23 |
柴田昭市 |
2007年12月03日 - 2009年03月23日 |
陸上幕僚監部人事部人事計画課 企画班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部 教育訓練計画課長
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24 |
大庭秀昭 |
2009年03月24日 - 2011年08月04日 |
西部方面総監部防衛部防衛課長 |
東北方面総監部防衛部長
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25 |
古庄信二 |
2011年08月05日 - 2013年08月21日 |
第2師団司令部第3部長 |
国際活動教育隊長 兼 駒門駐屯地司令
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26 |
吉田壮介 |
2013年08月22日 - 2016年03月22日 |
陸上幕僚監部運用支援・情報部 情報課総合情報班長 |
統合幕僚監部運用部運用第1課 特殊作戦室長
|
27 |
丸尾寿明 |
2016年03月23日 - 2018年03月22日 |
第4師団司令部第3部長 |
陸上幕僚監部人事教育部 厚生課給与室長
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28 |
伊藤優一郎 |
2018年03月23日 - 2019年08月22日 |
陸上幕僚監部監理部総務課企画班長 |
陸上幕僚監部監理部総務課庶務室長
|
29 |
山田篤 |
2019年08月23日 - 2020年12月21日 |
東北方面総監部防衛部防衛課長 |
陸上幕僚監部人事教育部 人事教育計画課教育室長
|
30 |
東直史 |
2020年12月22日 - 2023年03月12日 |
陸上自衛隊富士学校主任教官 |
陸上自衛隊補給統制本部総務部 人事課長
|
31 |
三浦滋 |
2023年03月13日 - |
東部方面総監部情報部情報課長 |
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主要装備
警備隊区
各中隊は大阪府および和歌山県それぞれに警備隊区を有する[3]。
廃止(改編)部隊
- 第37普通科連隊対戦車中隊「37普-対戦」:2006年(平成18年)3月26日廃止。対戦車中隊を基幹として第5普通科中隊を新編。
- 第37普通科連隊本部管理中隊管理整備小隊「37普-本」:2006年(平成18年)3月26日廃止。
事故
- 2018年11月15日:饗庭野演習場にて、81mm迫撃砲L16から発射された榴弾3発が演習場外に落下[4]。
- 2019年9月20日:饗庭野演習場にて、試射した照明弾などの部品が演習場外に落下[5]。
出典
“防衛省人事発令”. 2016年3月23日閲覧。
脚注
関連項目
外部リンク