第二五六海軍航空隊(だい256かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。華中防衛の主力戦闘機隊、揚子江・黄海シーレーン護衛隊として、太平洋戦争終盤に最前線で護衛・迎撃・偵察行動に従事した。二五六空。
太平洋戦争開戦に備え、日本海軍が中国大陸に展開していた航空隊は南方戦線に振り向けられ、大陸全土の制空は陸軍飛行隊が担ってきた。しかし成都をはじめとする連合軍の基地を制圧するには至らず、連合軍航空戦力が増強されるにつれ、上海・漢口・南京の地上基地や揚子江航路への攻撃が増加した。華中方面には上海と青島に2個練習航空隊があるのみで、制空・護衛能力に乏しかったことから、戦闘機・攻撃機からなる対空・対潜航空隊として二五六空が急遽編制された。
以後、上海を拠点に船団護衛に従事。戦闘機隊は訓練に従事。
以後、上海の防空に従事。
上海防空と黄海船団護衛の任務は九五一空時代にも継承され、機体が払底した後も終戦まで上海に留まった。かつての比叡艦長として知られる西田正雄司令は、翌年春まで九五一空上海派遣隊長として上海に残留している。地上要員は、上海に司令部を置く乙飛行隊の中支海軍航空隊に編入された。
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