第三十一航空隊[1](だいさんじゅういちこうくうたい)及び昭和17年(1942年)11月1日に改称した第九五四海軍航空隊(だい954かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争序盤から終盤までマニラを拠点にフィリピン航路の防衛を担当し、時はゲリラの掃討にも従事した。
隊名が類似している第三一海軍航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第三十一海軍航空隊」、または「第三一航空隊」などとしている文献があるが、これらの呼称は誤りである。
フィリピン上陸戦が進捗したため、主力航空部隊である第十一航空艦隊は、第二次侵攻作戦のために蘭印方面へ進出することとなった。一方、本隊から断絶して組織的抵抗を断念したアメリカ合衆国陸軍はゲリラ戦に移り、現地住民のゲリラと帯同して散発的な戦闘を繰り返した。これに対応すべく、第三艦隊は自由に使用できる附属航空隊を改編し、局地戦に対応した第三十一航空隊を編成し、残敵掃討・対潜哨戒任務に当たらせた。
以後、フィリピン各地で船団護衛・対潜哨戒・ゲリラ掃討に従事。
ラバウルでの活動は資料が少ないが、主力艦爆隊である第二航空隊指揮下で活動をともにしたと考えられる。
艦攻隊はフィリピンのニコルス、ダバオを基地とし、零観、零水偵を装備する水上機隊はキャビテのカナカオ基地を中心とし、比島各地に展開し船団護衛に従事した。カナカオ以外の水上機基地はいずれも簡素なものであり、各基地間の通信は水偵の搭載無線で行った。フィリピン戦で機体が払底し、昭和20年1月1日に九〇一空に編入されているが、直後に米軍のリンガエン湾上陸があり現地情勢は混乱しており、実態は九〇一空の名目上の分遣隊に過ぎなかった。比島各地に点在していた残留隊員は台湾への脱出がかなわなかった第一航空艦隊・第二航空艦隊の地上要員と同様に地上戦に巻き込まれ、多くは振武集団などに合流し、フィリピンの戦いに参加する事になる。
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